| 2005年03月23日(水) |
ちょっとちがうぞおお。と、思うこと。 |
最近、テレビなんか見ることが増えています。 家にいることが多いから、ころころと体重ばかりが増えているような。 で、脳みそはあまり重くないままです。
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先日、NHKで新シルクロードの映像を見ました。 パラグライダーにカメラをつけて写したものらしいけれど、今まで見ることが出来なかった映像美にびっくり!(@@; すっかり破壊されて残骸になってしまった遺跡の街を目の高さくらいで移動するのですが、細かなぶれもなく、ものすごい速さで走るがごとくなんですよ。 それも細道の上を流れるように……です。 ゲームのダンジョンを歩くみたいですが、もっと滑らか。 これは一種のデジャヴでした。 実は、手術を受けて麻酔が醒めるとき、同じようなアングルで病院の中をさまよう夢を見たからです。 まるで、魂だけになって、古代の世界の街をさまようかのような錯覚を感じました。
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ニュースにて。 「子供の権利を守る」(ちょっとうろ覚え)という大会の話。 「子供を一人前として見て欲しい」という意見。 ちょっと違うんじゃない? (^−^; 一人前の意味は、「一人分」という意味と「大人になる、大人として扱われる」ということ。 子供じゃないから一人前って言うんだよ? ……っていうのは、言葉尻つかまえただけなんだけれど。 たぶん、その人は一人の人間として見て欲しい……ってことを言いたかったんだろうなぁ。 これって全然意味が違ってくる。 一人の人間として大事にされるべきだから、子供を守るための法律や条令があるわけで、中には一人前の大人には不要なこともあると思う。 一人前っていうことは、そんなに甘くないのだな。 だいたい年齢的には大人でも、とても一人前とは思えないような人もいるしねぇ。
渦中の人と筑紫さんの会話で。 「ネットで多くの人の意見を聞き、フィルターにかけることによってニュースの真偽を問うことが出来る」(うろ覚えで定かではないが、そのような意味だったと思う) ちょっと違うんじゃない? (^−^; 多数決では真実は決まりません。 今のメディアがいいとは言いませんが、人の意見で左右される情報はもっと怖い。 不特定多数の意見ってあまり信頼が置けない。 共産主義のように、やがて独裁的な意見に集約されそうな気がするのは私だけかな?
アメリカの安楽死問題にて。 15年間植物状態(と言っても目を開けたりすることは出来ている)人の安楽死を問う裁判。 ブッシュ大統領まで出てきて、最高裁の判断を覆す? とある女性コメンテーターの発言で。 「今まで世話してきたのは夫。夫の苦労を考えれば、安楽死に反対するのは親のわがままですよ!」 ちょっとちがうんじゃない? (^−^; 裁判では本人の意思が確認されたと見なされたので、安楽死は認められたんじゃないのかな? 残された人の苦労を考えて安楽死もやむなし……という意見が通ったら、世の中は姥捨て山状態になります。 ケースバイケースとは思いますが、一般論を語るにはあまりにも安易な意見じゃないのかな?
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今日もフランス語でした。 先週の女の子は、顔を出しましたが、結局レッスンを受けないで帰りました。顔を出したのは、親へのカモフラージュ? 帰るのを留めようとする先生と話す声が泣き声っぽくて、本当にフランス語を勉強するのが嫌で嫌でたまらない様子。 うーん。(−−; 先生もかわいそう。 自分の母国語をけちょんけちょんにけなされて、ただ、聞いているだけなんて。 期待が大きいだけに親にちゃんと「嫌だ!」って言えないんだろうなぁ……。
というレッスンも今日で最後。 4月からは新しい講座が始まります。もちろん、続けるつもりです。 (^−^)勉強は嫌いだけど、フランス語は好きだから。 本音を言うと、英語より好きだぁ……。
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