| 2004年05月05日(水) |
[ニース旅行3]中世の村 |
次も雨でがっかりです。 エズ観光をしようと思っていたのですが、昨夜のうちに計画変更。今度はプロヴァンス鉄道に乗ってみることにしました。 姉の下調べでは、小さな鷹の巣の村々があり、乗ってみるのも楽しいなどとガイドブックに書いてあるようです。しかし、汽車の本数が少ないので、遠くへは行けません。 アンテルボーという中世の街並が残る小さな村まで行き、そこから行けるようだったらさらに汽車に乗っていくと決め、9時の汽車を目指しました。 が……。 駅と線路が邪魔をして、プロヴァンス鉄道の駅に行き着けない。インフォメーションで行き方を聞くと、12分から15分かかるという。げげげ……。まさに9時15分前。切符も買わなくちゃ! ってことで走りました。が、私はとんでもなく運動音痴なので、先に姉に駅まで走っていってもらい、切符を買ってもらいました。 へとへとになって、駅に着くと「あなたを待っていましたよ」などと、駅員さんに調子のいいことを言われました。
このプロヴァンス鉄道は、まるでバスくらいの小さな車両ですが、なかなか景色がよくてお勧めです。最初は、ニースの街中をバス停のようなところで止まって不安でしたが、そのうち雨もやみがちになり、時々日が差すようにもなり、気持ちがよかったです。 川沿いにどんどん山奥に入っていくのですが、予想していた登山列車のようなものではなく、谷を縫って進んでいきます。 本当に小さな農村が続き、それこそ北海道の片田舎の無人駅のような様相に、降りる街たいする不安がよぎりはじめました。 アンテルボーという村、本当になんの情報もないんですから。中世の砦があり、中々風情がある……とだけの小さな記述だけ。 さらに先に行くと、また見ごたえのある村々が続き、他の鉄道もある大きな町に着くらしいのですが、そこまでの時間もなく、戻ることも考えなければならず。 そう思うと、ホテルなんて取らず、行き当たりばったりでもよいのかな? などと思い始めるから人間不思議です。 この先には何があるのだろう? だけの興味で、さらに旅を続けるのも楽しいかもしれません。 アンテルボーのひとつ前の駅についても、中世らしき街並はなく、川のほとりにキャンプ場などがある田舎の村の風景が続きました。
しかし、アンテルボーというところ、ついたとたんに期待に答えてくれました。 無人駅の小さな駅です。しかし、谷川があり、滝があり、川の向こうに旧市街が広がっていて、その上に九十九折の道が続き、廃墟と化した砦が見えました。 しかし、そこにはフランスの国旗がたなびいていて、きれいに保護されていることがわかります。 汽車を降りようとしたときに、近くに座っていたおじさんに呼び止められました。なんと、アンテルボーの地図をただでくれました。ううう、みんな親切だ。 突然現れた要塞に、姉も私も大興奮! 早速村へと行きました。 街の屋根は、オレンジの瓦が敷き詰めてあり、ところどころ崩れていたり、石をさらに載せていたり……で、人が住んでいるようには見えません。しかし、中腹には建物に埋もれて教会が見え、鐘突き塔が見えます。
ここで降りたのは、数人の観光客と小学生の遠足らしき一行。しかし、あっという間に別々になってしまい、村の中ではすれ違った利することもほとんどありませんでした。 廃墟のように見えた村は、実はかなりきれいにされていました。 橋の上では、おばさんが一生懸命プランターの花を飾っていましたし、掃除のおじさんもいました。 橋は、途中から板で渡したような部分があり、どうやら昔は巻き上げることができたようです。城壁の門をくぐると、片側が囚人小屋だったらしく、人形が飾ってありました。もう片側はインフォメーションになっていました。 とはいえ、まったくこの村の情報がない私たちは、聞くこともあまりなく、とにかく地図を頼りに歩き回るしかありませんでした。 街の中には小さなお土産屋さんやレストランがありますが、そればかりではなく、ごく普通の住まいらしきところも多くありました。 窓の下に猫が寝ていたり、犬がいたりします。しかし、人間は見かけません。この村の人々の、気配はなんとなく感じるのですが、まったく姿が見えないのです。 ほんの小さなドアに、金属のプレートで小さな表札が出ていたり、アンテナがあったり、花がきれいに窓辺に飾られていたり、古い建物だけど、ドアだけは新しいものに取り替えていたり……。 それでいて、中世のイメージを損なわないよう、大事に村を使っている。そんな気配を感じるのです。
私たちは、すっかりこの小さな砦の村が気に入って、次に行くことをあきらめました。 そこはそこなりにまたいいのでしょうが、この小さな村をゆっくりと見たくなったのです。 かなり急な坂。階段。石畳。狭い道。そして城壁。 広くはない小さな村なのに、迷路のようで迷子になりそうです。 中世の人々は、こんな小さな家に住んでいたのでしょうか? まるで小人さんの家みたい。 人影がないのに寂れたように見えないのは、やっと晴れてきた天気のせいではなく、さりげなく手入れされた花のせいかもしれません。 人がいないのは、お昼だったからかも知れませんが。
ちいさなミュージアムもありました。 入ったとたんに自然に電気がつく仕組み。そして中央には大きな大砲。 解説が読めないのですが、そうやら英語文を読む限りでは、そこはかつてフランスの要となった要塞都市だったようです。砦の門を川が流れる旗印が、この村のものだったようです。 中世だけではなく、17世紀ごろ(絶対王政の頃?)も、この村は重要な地だったらしく、村にある教会はその頃立てられたものです。村にたった一つだけですが、パリにあるような手すり付の窓もあり、おそらく当時はハイカラな建物としてもてはやされたことでしょう。 笑えたのは、この博物館横にある公衆トイレ。 私は危険を感じて使いませんでしたが、姉は私よりもトイレが近いらしく、チャレンジ。 「きれいかい?」「うん、きれいだよ」 観光客があまりいない。ということは、あまり使われていない。ということは、割ときれいだということも、納得。仕組みは日本式の腰掛けないタイプだそうです。 しかし、その後姉の悲鳴が! なんと、水の勢いがすごくて、飛び上がって逃げないと、水を受けてしまうようなすごさだったようです。 足の下まで水が流れる仕組みのトイレで、かつて札幌の地下鉄にもあったタイプだと思われます。
街の奥に砦に向かう道があります。 そこも無人ですが、お金を入れるところがあって、3ユーロ入れると回転ドアが回る仕組みになっているようです。 入れて入ろうとすると……見事閉じ込められました。(−−; ちょうどそのとき、アメリカ人のアベックが通りかかり、私たちの様子を不思議そうに見ていました。 どうにか私たちがそこを通り抜けたのを見て、自分たちも見学しようと思ったようです。彼らも砦見学にやってきました。おそらく、その日の見学客は、私たちとそのアメリカ人たちだけだったかもしれません。
景色はきれいですが、正直へとへとになりました。 石が敷き詰められた登り道が果てなく続き、何個アーチをくぐったのかわからなくなりました。城壁にところどころ窓のような隙間があり、そこを覗くと街の景色が見事です。城壁の外にはのどかな谷間の田園が広がり、滝の音が届いてきます。 中腹で、先ほどのアメリカ人が写真を撮っていたので、お互いに撮りっこしました。 「あそこはワイナリーだよ」と、アメリカ人の彼と教えてくれました。
砦の入り口は、再び板を渡しただけ。 敵が攻めてきたときに、すぐに落とせるようになっているようです。板の隙間から下を見ると、もう目が回ります。 門にはフランス語でなにやら張り紙がしてありました。 「私の名前はポールです。ガイドです。私が案内いたします……うんぬん……」 というような内容のようでした。が、ポールさんの姿はありませんでした。 しかし、この崩れかけている砦の管理をしているのが、彼なのでしょう。覚書らしきものに、「ポールさん、ありがとう」などという書き込みがあって、なぜかほのぼのしてきます。 砦の中に入ると、上のほうから人の声がし、思わずきょろきょろしてしまいました。 先ほどのアメリカ人が、砦の上から声をかけていたのです。 びっくりしました。 その後も、私たちは別々に砦を見学していましたが、時々はちあわせるたびに写真を撮ってもらいました。
砦はかなり保存されているほうだとは思いますが、心無い落書きがいっぱい残されていました。が……。 汚いといえば汚い。でも、見学した人の足跡とも見れなくもないかもしれません。このような廃墟にいたっては。 2階の部屋まで残っていて、階段もあります。しかし、ところどころ底が抜け落ち、階段も半分崩れかけています。日本ならば、立ち入り禁止にしそうなくらい、危険ですが、子供の頃の砦ごっこを思い出し、ここで遊べたらきっと幸せだっただろうなぁ……などと、馬鹿なことを考えてしまいました。 年甲斐もなく、先ほどのアメリカ人が私たちに砦の上から声をかけたのも、思わず童心に返ってしまったからかもしれません。
貴人たちが過ごしたと思われる部屋は、噴水らしきものすらある中庭に面しています。 しかし、歩兵たちの部屋は、寝るには小さすぎるほどの傾斜のある石のベッドと、馬も入らないくらいの小さなスペースがあるだけ。 ただし、歩兵たちが待機していた場所はそれなりに広かったようです。 中庭には、抜け道もあります。電気がついていたので降りてみましたが、とても階段が急で途中であきらめました。 しかし、後から下のほうからそちらに向かう地下通路を通ることができました。 詳しい説明がないので、どのような感じでこの砦と村があったのか、想像するのは大変ですが、少しだけミナス・ティリスを思い出しました。 それほど豪華ではありませんから、エドラスと足して2で割りボロにした感じでしょうか? この道を馬であがってきたとは考えにくいけれど、村の仮装大会の写真を見る限り、馬もいたように思えます。しかし、厩がないような気が……。
村の中だけではなく、砦の中にも小さな教会があります。 本当に小さい6畳くらいの部屋で、壁が真っ白に塗られていました。十字架はその辺で拾った薪のようで、すべては質素で村にあった17世紀のものとは違いすぎます。 そこに記帳用のノートが残されていて、じゃあ、何か書いちゃえ! と思ったのですが、前の人(たぶん例のアメリカ人)が英語で、「われわれはみな、神の子である。世界に平和を」と書いてあったので、ついくだらないことを書いて日本人の品を落としたくはないと思い、書くのをやめました。 姉は、世界平和を願うメッセージを、一生懸命書いていました。 そこは、おそらく日本人はめったに訪れないのかもしれません。行く人がいましたら、姉のメッセージを探してみてね。
たっぷり砦を堪能して戻り、下のお土産屋さんで買い物をすることにしました。 お土産屋さんとジャム屋さんがあり、かわいい店構えに引かれてジャム屋さんに入りました。 ちりりんと鈴がなりましたが、誰も出てきません。その代わり、さきほどまでお土産屋さんと話し込んでいたお兄さんが、お店に飛び込んできました。どうやら彼がお店の人だったようです。のどかなところです。 お兄さんの英語は、私の英語レベルと同じくらいだったらしく、姉の英語はほとんど通じていませんでした。何度ゆっくり話しても、わからないのだから無理です。 私のあやしいフランス語と動物的勘で、どうやらジャム屋さんだということがわかったのです。あまりに通じない言葉に、お兄さんは「ここで僕がジャムを作っているんだよ」といって、作業所まで見せてくれました。 そこで花のジャム(私たちは蜂蜜と勘違いして買ってきたのだが)をいくつか買って帰ってきました。 ここまで英語が通じないと、かえって楽しいものです。
その後、もう一軒あったお土産屋さんを覗こうと思ったら……お昼休み。(−−; 仕方がないので、村を出て、駅の近くのレストランで食事をしました。こちらのレストランの人は、英語が堪能で、しかもおしゃべり好きときていて、 「英語のメニューはありませんが、私が口頭で説明いたします」 とのことです。 窓の外の広場に、なぜか黒服の人たちが集まってきました。村人というよりは、あちらこちらから集まってきた感じです。 ここで何か会議とか、催しがあるのかな? と思っていましたが、さらに不思議な光景が……。 黒服の人たちと、軍服を着た人たちが、列を作って橋を渡り、門をくぐって村に入っていくではありませんか。しかも、なにやら儀式的な行進。黒い旗を六人でもち、厳かに進んでいきます。 あれは何か? と聞くと、おしゃべり好きな店の人が、説明してくれました。 実はお葬式です。 この村出身の人は、亡くなると故郷に戻って葬儀をするのだそうです。そのときは、村を離れた人々も戻ってきて、みんなで山の上まで故人を運んで祈るそうです。 もしかしたら、それで旗があちらこちらのたっていたのかもしれませんが、そこまでは聞けませんでした。 このお葬式の話を聞いて思い出したのは、萩尾望都の『ポーの一族』の一場面。ポーの人々が村に戻って儀式をするシーンです。一瞬、この村は実はポーの村だったりして……なんて思ってしまいました。 村の感じはまったく違いますが、まさにエドガーとメリーベルが子供時代をすごしたスコット村のような気がします。 私の住んでいた札幌では、もう村意識とか郷土意識とかは希薄なところなので、なんだかとても新鮮に感じました。 こういう刺激は、心に心地よいですね。
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