最近、イソップ物語の【ロバ売りの親子】のお話を思い出す。 ……そういえば、あまりイソップ物語って、見かけませんねぇ……。 私が子供の頃は、よく見かけたのだけど。 知らない人はあまりいないと思うけれど……。
市場でロバを売るためにテクテク歩いていた親子が、すれ違う人に声を掛けられる。 その人曰く「ロバをただ歩かせているのはもったいない」 そこで父親はロバに子供を乗せる。 またしばらくいくと、別の人が「ロバに子供を乗せ、年寄りの父親が歩くとは……」 そこで父親は子供を歩かせ、自分がロバに乗る。 またまたしばらくいくと「子供を歩かせて自分が楽をするとはけしからん父親だ」 それで今度はロバに二人で乗る。 またまたまたしばらくいくと「あれじゃあロバがかわいそうだ。売り物にならないくらいにばててしまうだろう」 親子は仕方がなく、今度はロバを丸太にくくりつけて二人で担ぐことにした。 街中の人は大笑い、しかも橋の上でロバが暴れて丸太が折れ、ロバは川に落ちて流されてしまった。
というお話。 このような教訓じみたお話は、あまり今は好かれないのかもしれませんね。
でも、最近「みんなの意見を尊重して」とか「みんなのことを考えて」とかいう人が多くて、このお話を思い出してしまうんです。 たくさんの意見を聞いて、最大公約数をとれば、最もベターな結論に行き着く……と、信じている人の何と多いこと。 立場も主義主張もちがう多くの人が、意見をおたがいに言い合って、全員が納得できるはずがない。必ず、妥協やあきらめ・譲ることがないと、話はまとまりません。 ただいたずらに論議を延ばして険悪になるか、最悪な結論を出すか……結論が出なくて空中分解……ということもありえます。
だいたいですね。政治家を見ればわかりますが 「国民の皆さんの意見を尊重し……」などと言っている人は、あまりぱっとしたことをしません。(あ、断定しちゃいけないね)
誰かが意見を言うと「みんなはそうは思っていない」と言う人。 みんなに確かめたのかい? そう思っているのは君だ! みんなと聞いてうなずく人。うなずいているのは君だけかもしれない。 「みんなの意見」は、ひとつのマジックで、自分ひとりが外されたくはないと思う人間心理を利用したテクニック。 ロバ売りの親子みたいな人が多いと、とても効果的なのだ。
だから、私は脳内変換。 「みんなの意見」=「俺の意見」 「みんなの意思を尊重して」=「俺の意志を尊重しろ」 「みんなはそう思っていない」=「俺はそう思わない」 ひとりの意見が、世界すべての意見であるはずがない。
小説を書いていて、感想や批評をいただくことはうれしいことです。 感想・批評は、とある作品から生まれたもうひとつの作品で、時に美しいものすらある。 美しい感想をいただくと、自分の生み出した作品が自分を超えてしまって、この人の心の中にさらに呼び起こしたものがあるのだと感動してしまう。 批評も客観的に自分を見つめることができて、興味深いものです。
が。 ロバ売り親子にはならないように気をつけています。 モノを書いている間は、私が唯一の傲慢な神様であるわけで(^^) 素晴らしい誉め言葉にも、きついご指摘にも、一喜一憂しつつ、ぐっとこらえて……。 我が作品世界では、せいぜい威厳を保っておこう。
|