| 2003年07月18日(金) |
【執筆ネタ】物語を作るのは作者か? 読者か? |
最近、かなりネットの作品を読み込んだかもしれません。(^−^; それも書評づいたからかも知れませんが……。 で、ちょいと自分でも書評に書いて気になったことがあります。
物語を作るのは、作者か? それとも読者か? ……ってことです。
えーーーー! そんなの作者に決まっているジャン! とか、言われちゃいそうですが、映画などと違って映像がともなわない小説にあっては、読者の読解力とか想像力とかが、かなりものいうと思うのです。 つまり、一つの作品を作品たらしめるのは、読者の力が必要ということ。 これって、読解力ある読者が大切ってことではありません。(^−^;
「世界は魔物があふれかえり、今滅亡の時を迎えつつある。人々は祈った。英雄を待ち望んだ」 これじゃ何にもわかんないよーーー! なのだけど、これだけあればゲームが好きな人は、頭に映像を浮かべることができるのです。 そして、英雄は必ずチームを組んでいて、回復魔法と攻撃魔法が使える魔術師が必要なんです。 そんなことは説明しなくてもわかるので、登場人物たちは勝手にジョークをまくし立てながら旅をすればいい。
……と思えば 「いつ、どこで、誰が……その人はどのようないでたちで、身長・体重はいくらで……。つまり何も状況が伝わってきません」 などと思う人もいる。彼女はバラを手折った……。ならば、そのバラの色は? バラの大きさは? バラの香りは? などと事細か。 大きな建物があり……その大きさは? その色は? 窓は? 扉は? ……。
うーん。両方ともあまり好きじゃないや。 前者は、あまりにも既存のものに頼りすぎていて魅力がない気がする。 後者は、あまりに話の筋に関係ないものまで教えてくれすぎて疲れる。 特に後者は作品を書く人が、別の人に望むことが多い気がするんですよ。 でも、どうなんでしょうか? 時に読者の想像の余地を残すことも大事な気もするんですよね。 どれだけ詳しく描写をするかが大切なのではなくて、どれだけ読者のイメージをそそるかが大切な気がして、時に読者の力を頼っても良いのではないのかな? などと甘えたことを考えてしまいます。 バラを手折った時に、色や香や大きさや……がないと、イメージがつかめないとしたら、それはあまりにもバラを知らなさすぎる読者じゃないだろうか? 彼女がカルメンのような情熱的な女なら、きっとバラは大輪の赤で、深窓の姫君ならば、白く可憐で薫り高く、その上彼女の指をかすかに傷つける意地悪な花かもしれない。 そんなイメージを裏切らない描写ならば、さらりと過ごしてもいいんじゃないかな。
物語は作者を離れて読者に渡ったときに、さらに大きな物語に成長しているのではないだろうかと……。 だって、二人分の想像力が働くわけですから。
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