| 2003年07月04日(金) |
批評を甘んじて受ける |
『二つの塔』吹替え版のファラミアの台詞。 「甘んじてうけよう」 きゃーーーー!(^^)す、素敵! 私も何でも甘んじて受けますわーーーー!!! (*^0^*) なんて、バカなことを言っている場合ではない。
作品の批評を「甘んじて受ける」のは、結構難しいです。 『インターネット創作作家協会』のワークショップに、甘っちょろい考えで参加したのはいいのですが、ズタボロもいいところです。(^−^; でも、だいたいは『小説の主張』で受けた書評にも準ずる内容だったので、自分ではわからない欠点の指摘といえるでしょう。 さらに書き直すことが前提にあるワークショップなので、情けないけれど自己解説までしてみたところ、かなり踏み込んだアドバイスがいただけました。 とても得るものがありました。
……と、書くと 「まー! わたなべさんって、冷静なのね」 などと思う方もいるでしょう。はい、冷静です。冷静なつもりでした。 ところが……。 実は、私、批評を読みながら、震えていたことに気がつきました。 マウスを持った手がガタガタ揺れて、キーボードにぶつかって音を立てていました。 それで、初めて自分がすごーーく動揺していることに気がつきました。 怖かったんです。 自分のすべてが否定され、貶められていくような気がして……。
「さらにいい作品が書きたいから、厳しい批評がほしい」 と言っている人たちの中で、いったい何人が、傷つくこともなく、甘んじて受けられるんだろう? などと考えてしまいます。 少なくても、私は処刑ですら甘んじて受けるようなファラミアの心境ではなく、 「でも……怖いんです」というフロドの心境かも知れません。
作品を読むことは、どこか人付き合いに似ている気がします。 誰も仲良くなりたい人に向かって、 「はっきりいって、あなたはブスだよね。口でかいし!」 とは言わない。せいぜい 「口紅の色、ベージュ系のほうが似合いそうね」 などと言う。 だから、仲良くなった人同士はどうしても厳しい批評にはならないし、弱点にはおたがい片目をつぶって見えなくする。 そうなると、不思議なことに、知らないところでなぜか厳しい批評を求めたくなるのでしょうね。
感想・批評を読むと、自分のことを暴かれるだけではなく、その人となりも見えてきます。 作品を熟読して意見を言う人、嫌いでかたづける人、読みもしないで文句を言う人、読んでいないのに誉める人。様々です。 すごい読解力がある人もいれば、とんちんかんな人もいる。 ただひたすら、あらさがしをする人もいれば、ひたすらいいところしかみない人もいる。 ……なんだか、その人となりを見るのも怖いです。
それでも私は、もっと表現する手立てがほしい。 多くの人に作品を読んでもらいたいし、読んでもらったからには、めぐり合えてよかった! といってもらいたい。 貴重な時間を割いて読み、考え、批評を書くことは大変な作業。 お願いしてもなかなか引き受けてもらえないものです。 その人の労力の中に、自分のプラスになるものを探すのも大切なことだと思います。 震えが止まらなくても……甘んじて受けよう。
でも、それは人の場合。ひとでなしの意見は無視です。(^^;
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