鶴は千年、生活下手

2016年09月02日(金) いるだけでいいと思うこと

昨日から2学期が始まり、いったん持ち帰った教科書を半分以上
入れた重いリュックを背負って、よたよたと登校していった。

乳がんの有名人が、ブログを開設することが話題になった。
幼い子ども達といっしょにいてやれなくて申し訳ないと思ってい
る人に、自分も同じだと伝えたい、とか。

がんに限らず、子どもと一緒にいてあげられないことをすまない
と思っている親は少なくないと思う。
仕事でという人もいれるとたくさんいることだろう。

病気で一緒にいる時間が少ないとすまなさを感じている人たちに
わたしだって言いたい。
それは、いてくれるだけでいいということ。
病気と闘ったり、病気とつきあったりして生活している人は、と
にかく生きていてくれることが何より大事なのである。
無理はしない。
自分の体のことを第一に考えること。
そうすることが結果的には、家族への愛情になるのだ。

生きていてくれるだけでいい。
これは実感である。
わたしも1ヶ月程度の入院を2回、経験している。
本人の意識とは別に、担当医師の中では緊張する段階もあったと
聞いている。
臨月のようなお腹を抱えて、毎朝の吐き気と戦いながらトイレに
いき、週に3回4時間(前後の処置を入れると5時間ほどか)の
拘束時間を持つ。
子どもが熱を出しても一緒にいてやれない日も多かった。
今ではすっかり熱を出さない子になったが、インフルエンザでも
一緒にいてやれないこともあるし、軽いとはいえ自閉症の子を、
具合が悪い状態で留守番させることになる日もある。
夫がでかけてから、具合が悪いとわかったときは、なかなか大変
なのである。
しかし、とにかくわたしは生きている。
夫や息子にとって、それは何よりも大事なことなのである。

いてくれるだけでいい。
それが家族の物差し。


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市屋千鶴 [MAIL]