いつも朝は早く起きる。 たいてい4時には起きているので、オリンピック中継も朝からの ものをよく見ている。 体操も真剣に見ていた。 夫も息子も寝ているので、音量はゼロで見ている。 静かに静かに興奮して、応援している。 朝の連ドラを見終わると、今度は競泳だとか卓球だとかを見たり、 午前中いっぱい、オリンピック漬けである。
わたしのような、努力が苦手なというか嫌いな人間でもわかる、 選手や関係者のたゆまざる努力。 努力できるのも才能だというが、好きだからこそできる努力。 好きでも努力できないわたしがいうのもなんだが、それほどまで に好きになれるものに出会えたことは幸せだろうとも思う。
努力を惜しまぬほどに好きなことに出会えていなかったからなの かどうかはわからないが、普通に学校でがんばって練習してでき るようになるという体験もあまりない。 学業は、小中学校では努力しなくても成績が良かったので、高校 に行って努力が必要になった途端に、ついていくのが大変だった。 体育の授業だって、逆上がりは結局できないままだったし、走る のも遅いままだった。 球技やバドミントンや縄跳びは何故かうまかったので、そういう 種目がある学期は体育の成績が良かった。 しかし、走るのが苦手というのは、どの競技でも上達の限界が来 てしまうものだ。
結局、人生で精一杯の努力をしたのは、出産のときだけだと思う。 子育ては、年がら年中精一杯では、続かないものだから、心がけ は精一杯しているが、体力面では手を抜いていることも事実。
自然と、息子に対しても精一杯の努力は求めないことが多い。 無理はするなと言ってしまう。 感覚過敏は、他者であるわたしにはわからないが、きっとつらい ことも多いと思うので、無理強いはしないようにしている。
努力で克服できるものとそうでないものとの区別はつけないと。
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