昨日はぷらむ短歌会だった。 いつも司会進行をしてくれている男性が、風邪で欠席だったので、 後半の各自の短歌の意見交換はわたしが進行した。 進行といっても、次は誰の歌です、お願いします、といった程度。 それ以外はいつも通りの意見を言っているだけだ。 男性は一人で、おまけにいつもメモを取ってくださっている方な ので、必然的に発言は少なくなる。 あとは女性が5人。
3人でかしましいと言われる女が5人いれば、想像できるとおり、 よくしゃべる。 時々、歌の内容に引っ張られて脱線したりするが、それもぷらむ のいい所ですよと、男性にフォローしていただくほどだ。 今回は、ラグビーの話や、仏教の話や、脳の話や、成長痛の話や、 あれやこれや。 おしゃべりの中から要点を抜き出してメモを取っているのだから、 そりゃあ大変だったろうと、恐縮したうえで感謝である。
短歌を解釈するというのは面白いもので、それは何に関しても同 じなのかもしれないが、知らないことはわからない。 至極当然のことである。 誰かの作った短歌に使われている言葉の意味であったり、その言 葉が持つニュアンスであったり、そういうものは知らないと無理。 歌をひもとくヒントは、その歌の中で意識的に使われるポイント となる言葉のはずなのだが、その言葉がわからないとヒントもも らえないことになる。
世間的に共通の言葉として通用している言葉であるのか、そして それは共通のイメージを持ってもらえるものなのか。 方言であれば、注釈が必要であり、専門性の高い言葉であれば、 やはり注釈が必要だと思う。 特別な言葉を使っていなくても、その歌の背景にある文化、また はスポーツなどについても、それを知らないと良さが十分に理解 できなかったりする。
詠むにせよ、読むにせよ、大事なのは経験に基づく言葉なのかも しれないなと、改めて思った短歌会。
次回のお題は「干支」。 干支の動物ならオッケーということで。 自分で提案したのに、作れる気がしない。
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