自転車並みのスピードで北上中の台風だが、1学期の終わりにも 台風が来ると大騒ぎをして、関東、というか相模原のこの辺りは それほどではなかったような気がする。 今回も、相模原市に大雨・洪水警報が出たが、相模原市は合併し てやけに広い市になったので、ひとくくりにはできないようだ。
父の死に際して、涙の一粒も出なかったのは、横たわっている父 が、最後に見た父の姿とあまりにかけ離れていたからなのかもし れない。 もとから自分の中での存在感を薄くしてきたものだから、実際に 存在しなくなったことを実感できていないのだろうか。 すでに思い出の人になっている人は、改めて思い出の人にはなれ ないのかもしれない。 わたしの中の父の思い出は、小学校の頃のものがほとんどなので、 そこから後のことは母の思い出の一部として存在してきたのだと 思う。 ともに苦労した母の死は、わたしにとってとてつもなく大きいも のだったし、その後の自分の堕落ぶりを思い出すと、母の存在の 大きさを思い知ることができる。
ともに苦労したという点では、父に対する義母の気持ちは想像以 上なのではないかと思う。 がっくりくるものなのか、自由に動けるようになった自分自身を 楽しむ方向に考え直すことができているものなのか。 心配になってもなかなか電話もできないのが、まあ複雑な義理の 仲ということなのだろう。
このわたしが、母親になるなんて思ってもいなかった。 小さい子の親になるなんて、小さい子を育てているなんて。 まったく不思議なものである。 まあ、それが人生なのだけれど。
ゆっくりと周りもちゃんと見渡せる自転車並みの日々を楽しめ(市屋千鶴)
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