鶴は千年、生活下手

2011年03月03日(木) 継続

今日はひなまつり。
透析後に食べる病院の食事も、ちらし寿司だった。
おひなさまは、もぐちゃんが学校で作ったおひなさまである。
晩ご飯は、ちらし寿司にしたらもぐちゃんが食べられないので、
普通のメニューだ。

いつも学校から持ち帰るファイルには、先生が学校での様子を書
いてくれているのだが、火曜日の分が一日遅れで昨日書き込まれ
ていた。
先生が書くよりも先にもぐちゃんがしまってしまったかららしい。
で、そこには「お友達にいやな言葉を言っていることが多くみう
けられました。」とあった。
本人に聞いても、何と言ったかはもう覚えていないらしい。
たぶん、「ばか」とか言ったのだろう。

対応は一日遅かったが、昨日の町田の男の子の話をもぐちゃんに
した。
もぐちゃんはそれは言ってはいけない言葉だということは認識し
ていて、真剣に話を聞いてくれた。
しかし、他人にひどい言葉を言ってはいけないということを、ず
っと意識の中においておくまでには、まだ何度も繰り返し言い続
けていかなくてはならないのだと思う。
周りから影響を受けやすい子だから、つられて言ってしまうこと
もあるかもしれないし、ほんとにこれは継続の力に頼るしかない。

よちよち歩きの頃から、何度も何度も言い聞かせて、母親と2人
の時は母親からあまり離れないで歩いてくれるようになった。
走れない母は、駆け寄って助けることができないから、手の届く
ところにいてねと、何度も何度も。

言葉の力、言葉の大切さを、どれだけ言い続ければわかってもら
えるだろうかと思うが、それでも言い続けるしかないのである。
自分で推し量って考えられない限り、言ってはいけない言葉が確
実にあるということを、社会のルールとして身につけさせなくて
はならない。
それが先に死んでいく親のつとめなのだと思う。
命を軽んじるような言葉を使ってはならないのだ。
命の重さや長さをとやかく考えなければ、ただ一点、生きている
ということだけは平等か。

 誰にでも平等にありただ一つしかないものが命なのだと(市屋千鶴)


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市屋千鶴 [MAIL]