鶴は千年、生活下手

2011年01月25日(火) ひとくくりにしない

昨日、発達障害と診断されたり、診断されていなくても子育てし
にくいなと感じている親の会に初めて参加した。
うちの学区の隣の学区の方が代表だった。
他に中学生のお子さんのおかあさん。
他には、今年小学校に入学する子を持つお母さん達。
2時間、いっぱい話をして、終わってからも今年入学のお母さん
達とロビーで話し込んでしまった。

話しているとどんどんと、もぐちゃんが恵まれていることが実感
される。
本当に、住んでいる場所によって受ける教育が違うんだなあと。
それは支援学級の場合だけでなく、すべての子どもに共通するこ
となのかもしれないが。

で、支援級の先生をしているからといって、発達障害のことを充
分理解しているとはかぎらないという話になった。
専門的に学んだと言っても、基本的に子どもが好きでないとやれ
ない仕事である。
自分の子どもでさえ理解するのに時間がかかるというのに、仕事
だからと割り切って相手できるものではないと思うのだ。

発達障害のことはしっかり勉強していますから、よくわかってい
ますという先生にかぎって、ひと括りに考えてしまいがちなのだ
という話だった。
同じ発達障害という括りになっていても、本当に一人一人が異な
る特性をもっているので、ひと括りに考えられては困るのだ。

一人一人がみんな違うことは、なにも発達障害だとかそうでない
とかに関係なく、すべての人に言えることだが、発達障害の人は
苦手なことや得意なこと、好きなものや嫌いなものの振り幅が大
きくて、そのことに自分自身が手こずっているのだ。

今年入学するお子さんのお母さん達も、他の人の話を聞いて、同
じ診断名をもらっていても、本当にそれぞれ違うんだなと実感し
たようだった。
感覚過敏も、それぞれに好き嫌いが違うこと。
他のお子さんの話を聞いて、そういうことだったのかと気が付い
たりすることもある。

違っていたり、同じだったり、だからこそ親同士のおしゃべりは
大事なんだと思った。
うちだけなのかと不安になることは、普通級の親以上にあるのだ。
うちだけじゃないと思ったり、そこはこう違うんだなと思ったり、
子どものことを客観的に語り合うことができるというだけで、親
の気持ちの持ちようが変わる。

なにより、みんながんばってるなあと思えるのがうれしい。

 「ぼくのことちゃんと見てる?」ときいた子に素直にごめんという親である(市屋千鶴)


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市屋千鶴 [MAIL]