今日は青函トンネルが開通した日なのだそうだが、わたしは一度 も通ったことはない。 青函連絡船には、中学の修学旅行で乗った。 「らんらく〜せん〜にのり〜」という津軽海峡冬景色も現実っぽ くなくなってしまったんだなぁ。
それから、九州新幹線が今日からだったっけか。 熊本から鹿児島までか。 なんだか、騒音とか振動の問題が取り上げられていて、交通機関 とそういう問題とは無縁で入られないものなのだと改めて思った。
3月10日が高校入試、そして13日が合格発表だったと記憶し ている。 学校で連絡を待っていたことや、三人で抱き合って喜んだことを 思いだした。もっとも、三人で抱き合う前は二人だったのだけど。 (一人は、机で泣いてたからー。) 学校に、父の妹から電話が有ったのも覚えている。 わたしが県内トップの高校に合格するとは思ってもいなかったの だと話してくれた。 それは、ぼーっとしてると思われていたからだが、わたし自身は、 家の中で能力全開で暮らしたりしていなかっただけのこと。 小学校高学年以降は、学校がわたしの世界だったから、学校でだ け能力を解放していたにすぎなかった。 たぶん、ちょっと早熟だったから、まわりの子供達よりも覚えが 早かったのかもしれない。 まあ、能力といっても、ただ単にちょっと覚えが良かっただけの ことで、義務教育胃の範囲であればということだ。 ただ覚えていればいいという段階でなくなった時には、わたしは 何もできなくなったのだから。
高校に入ってからも、父方の親戚はわたしがそんなに勉強ができ たことを、おそらくは信じきれていなかったかもしれない。 わたしの覚えの良さは父に似たものなのにね。
わたしは、自分の力を最大限に発揮したことが有ったのだろうか。 いつも、適当に勉強しているだけだった。 高校でも、なんとかごまかすように暮らしていたから。 銀行員時代、トラブルが発生すると目の色が変わるとよく言われ たが、そんなときしか本気にならなかったということだったのか。
自分の力だけではどうしようもないことがあるということを知っ てしまった14歳から、わたしが最大限の努力をしない人間にな ってしまったのではないか。 なるようにしかならないことは確かだけれど、そこにたどりつく までの過程が大事なこともある。
009:圏外 あなたから目をそらせないわたしなど大気圏外まで飛ばします(市屋千鶴)
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