鶴は千年、生活下手

2004年01月22日(木) やっぱり冷たい歌の人だ

こんなタイトルでは、何のことやらさっぱりわからんではないか
と言われることを承知で、このタイトル。
ニフティの短歌フォーラムというところで、毎週水曜日に行われ
ている「苺摘み歌会」(前の人の歌から一語を採って歌を詠む)
に参加していた頃、冬の歌とか雪の歌とかを作ると評判が良くて、
冷たい歌のXXさんと呼ばれていたのだった。

そういうことを思い出したのは、本日届いた「短歌研究2月号」
の「うたう☆クラブ」で載った歌が冬で雪の歌だったから。

 この町で本物の空は冬に有り故郷の雪とつながっている(市屋千鶴)

こういう歌である。
五首のうち、選ばれたのはこれだけだったが、扇マークがついて
いてやけにうれしかった。
扇マークは、選者が特に完成度が高いとした歌につくものだから。
栗木京子様、ありがとうございます。

東京に住んでいて、冬の空を見ていると、これがこの町の本物の
空なのだと思ったりする。
そして、その空は、雪雲に覆われた故郷とつながっているのだと
いう感慨である。
上京して25年、毎年冬になると思うことなのだった。

ずっと雪の中で暮らしていたら、わたしはどういう大人になって
いたのだろうかと、ふと思ったりする。
あの雪雲の下では、雪にまつわる悲しい記憶などにはすっかり慣
れっこになってしまっていただろうか。
雪が降ったからと、いちいち思い出していたのでは、毎日毎晩が
思い出の中に埋もれてしまうだろう。
真っ青な空の毎日と、時折降って来る雪とが、わたしの記憶を呼
び覚ますには程よい頻度だったということか。

ふるさとは遠きに有って思うもの。
雪はふるさとだと言い切れるのは、その中で生活していないから
かもしれない。

 北風の強い時には吹雪いている故郷の道をなぞって歩く(市屋千鶴)


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市屋千鶴 [MAIL]