| 2004年01月05日(月) |
退院してスイッチオン |
退院当日。 その日に退院する人がたくさんいて、わたし達の順番のくる頃に は、丁度昼休み。 助産師さん達は、休憩に入っていて、残った人達も仕事に忙しく、 2、3人の人に声をかけて立ち去ってきた。
退院予定の時間よりも1時間半も遅くなり、夫は一旦家に帰って から、仕事納めの挨拶のために会社に行くと言う。 そういえばそんなことを言っていたなと思い出しはしたが、待ち 時間にいらいらする夫を見ていると、悲しくなった。 それに、他の退院した人達と違って、わたし達はなんだか二人だ けで病棟を出てきたし、わたしは少し寂しかった。 病院を出て家に帰っても、だれもわたしにおめでとうと言っては くれない。 出産して退院する時には、看護婦さん達にお祝いを言われて見送 られて、と思っていたわたしには、結構ショックだった。
夫は、その日、ねぎらいの言葉もなく、会社に行ってしまった。 帰りは20時過ぎになると言っていたが、20時に近くなる頃に は、わたしは我慢できずに夫に電話してしまった。 その時、もぐちゃんは母乳が足りないからとぐずっていて、夫に 電話した途端、泣き出してしまったわたしにもぐちゃんは驚いた のか、急に静かになってしまった。 「早く帰ってきて。」とだけいうのが精いっぱいだった。
慌てて帰ってきた夫は、もぐちゃんに何か有ったのかと思ったら しい。 わたしが胸の内を話すと、夫は抱きしめて慰めてくれた。
わたしは、寂しかった。 「ご苦労様」という言葉も、「ありがとう」という言葉もなしに、 たった一人で家の取り残されたような気がして、寂しかった。 搾乳機を買いたかったとか、洗浄綿を買いたかったとか、病院の 売店で買いそろえられるものが有ったのに、退院の時間が遅くな ったことでいらいらしている夫に気を使って、何も買わずに帰っ てきてしまったこと。 買い物を頼みたかったのだけれども、やはり何も言えずに一人で 哺乳瓶を片手に乳をしぼっていたこと。 わたしの入院中に、夫は何をしていいのか分からなくて(寂しか ったらしい)、家のことは洗濯したくらいでほとんど手つかずで あったこと。 そんなことがわたしの中でぐるぐるまわっていた。
退院後の説明を受けていた時、他の人達は連絡先を2か所書いて いた。それは里帰りするから、実家の連絡先ということだった。 わたしだけ、連絡先は一つだった、 そんなことさえ、思い出すと悲しくなった。 母親が生きていたらと、これほど真剣に思ったことはなかった。 夫以外の誰にも会わない暮らし。 電話でおめでとうと言われても、直接会った人から言われていな いことの寂しさ。 病院で気を張ってがんばってきたことを認められない悲しさ。 自分の子が泣きたくなるほどかわいいと思えば思うほど、なんだ か物悲しくなるのだった。
これから約1週間つづくマタニティーブルーのスイッチは、この ときに入った。
退院した翌朝、雪が積もっていた。
生まれきたる命の重さ 失いたる我が身の重さ 初雪の朝
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