| 2004年01月04日(日) |
新しい年。 入院中のこと |
あけましておめでとうございます。 今年もどうぞよろしくお願いします。
自然分娩になって、一番感動したこと。 それは、助産師さんの力。 破水するまでは、一人でも深呼吸して痛みを逃がすことができた。 長かったから、ずっと深呼吸していたような感じ。 まるで深呼吸ダイエットだなぁと、冗談を言う余裕も有った。 しかし、破水してからは、一人で我慢していることがかなり困難 になってきて、陣痛が起きると助産師さんを探してしまうように なっていた。 ベッドの端をギュッと握りしめても、思わず力んでしまいそうに なるのを、助産師さんの声かけでなんとか我慢できたのだ。
ながーい陣痛の間、何人かの助産師さんが様子を見にきてくれた。 最後の担当の助産師さんには、本当に感謝している。 退院の日、一緒に退院できて良かったねと声をかけてくれたのだ が、ちゃんとお礼も言えないままに退院してしまった。 ありがとう、満園さん。
産まれた直後に、赤ちゃんを胸元においてくれた。 顔を触るのが少しだけ怖くて、肩をぷにぷにと触った。 それから、きれいにした後のもぐちゃんを抱いたまま、助産師さ んが後片付けするまでの間、もぐちゃんに話しかけていた。 もぐちゃんと声をかけ、名前を呼ぶと、口元が動いた。 ああ、この呼び声に反応するんだなぁと思った。 夫に電話をかけてくれて、遅い時間ながら、別室での面会ができ た。その部屋まで車いすで移動。 二人とも、わが子と面会しても、泣いたりはしなかった。 ただ、なんとなく、ふわふわした気持ち。 夫の面会の直後に破水したので、夫は翌日でないと産まれないと 思っていたらしい。 びっくりして、タクシー会社に電話するつもりでバス会社に電話 し、面倒になったので駅まで走ってからタクシーで来たと言った。 あわてていたんだねぇ。(笑)
入院中、みんながみんな、自分の子の面倒を見ている。 貧血だろうと、カロリー制限されていようと、そんなことは関係 なしに、ほとんど寝ないでおっぱいを吸わせる毎日だった。 母乳が出始めるまで、泣けば吸わせるという状態を続けるのだが、 母乳が出始めても、わが子の吸い方と自分の乳首の相性が悪かっ たりして、なかなか思うように吸ってはくれない。 それは、未だにそうなのだが、妊娠中に乳首マッサージができな かったのが痛かったかなぁ。
貧血ってことは、辛いことだねぇ。 母乳をあげると、がくっと足に来る。異様に疲れる。 入院中も、三日目からは足に来てしまって、がくがくした。 三日目と四日目に、朝からヘモグロビンを注入され、夕方までは 元気が保てるのだが、夕方になるとがくっと疲れた。 夜中に母乳をあげていると、ふらふらになる。 それでも、食事はカロリー制限されたままだった。 一晩中起きているカロリーじゃないよね、1600キロカロリー。 他の人は、2150キロカロリーなのにね。 夜中にぶつぶつ言ってしまうわたし。
病室以外に「授乳・観察室」という部屋が有って、子供が泣き止 まなかったり、搾乳したかったりするときに使う部屋が有り、そ こは、ナースステーションのとなり。 行けば、必ず助産師さんがいて、おっぱいマッサージなんかもし てくれたり、授乳をサポートしてくれたりする。 夜中に泣いてばかりいる子の親達は、いつのまにかそこのの常連 になっている。わたしも、となりのベッドの人もそうだった。 いつからか、授乳・観察室の仲間となり、いろいろと話をするよ うになっていた。 帝王切開でわたしよりも前からいて、退院はわたしと一緒だった。 赤ちゃんが、ゲップが下手で、いつも吐いてしまう。 母乳が少なくて、とりあえず混合にすると言っていた。
経産婦で、わたしよりも、2時間ほど後に出産した方。 出産後に駆け付けた夫と別室で面会していたときに、その人は入 院してきて、同じ部屋で痛がっていたのだった。 日付けが変わって翌日の2時前に出産したので、一日ずれて同じ 日に退院していった。 そこの赤ちゃんは、黄疸が強くて、1日退院が伸びていた。 うちも、基準値ぎりぎりの線だったので、退院当日の血液検査で 一緒の退院が決まったのだった。
6人部屋だと、他の子の泣き声とか気になるかなぁと思っていた のだが、いやはや、まったくそんな余裕はなくて、自分の子以外 が泣いていても、起きたりはしないのだった。(笑) 案外大部屋の方が、気が張っていていいのかもしれないなと実感 したのは、退院してからだった。 人目が有るとがんばるという自分の性格がよ〜くわかった。 なんだかみんな同じようにがんばっていて、心強かった。 これが、自宅に帰ってみると、大違いなのだった。
続きはまた今度。
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