こんな雨風の中、夫は黒川に出かけた。 17時からなんだかテレビ会議とかがあって、それに出席すると いうか眺めているというか、そういうことらしい。 ちょこっといって来るからと言って出かけて行ったが、この天気 では、ちょこっとでもきついよね。
昨夜夫は夜中の1時半頃帰ってきた。 今日も出なくちゃ行けなくなりそうだったので、無理して終わら せて来たのだと言うことだった。 わたしはと言えば、22時前から寝てしまっていたのだが、ふと 目が覚めて携帯電話を見ると、メール着信のマークが光っていた。 時間は夜中の1時半。 1時18分に、夫から、今駅に着いたというメールが入っていた。 1時半だから、もう家に着くではないか。 慌てて玄関の電気を付けに起きたところ、電気を付けてすぐに夫 が帰ってきたのだった。グッドタイミング! それからしばし話をしながら、2時半頃には寝たような気がする。
二人して超音波写真を見ては癌検査の結果のことなどを話した。 そんな深刻に考える段階ではないということを、あらためて確認 しただけなのだが。 癌かもしれないと医師が判断したら、その時はそれなりの対応を するはずだからねぇ。 可能性のあることは、全て可能性として考えるのが医者の仕事だ。 このことを、わたしは姉の幾度かの死線でよく理解しているはず だと思っている。
人間、外的要因で思いのほか簡単に死んでしまうものだが、死な ない人は本当に何度も死線を乗り越えるものなのだ。 しかしそれは、本人がどうこうできるものでもないし、それぞれ の精いっぱいを尽くしたら、あとは成り行きなのだ。 どんなに手を尽くしても、死ぬ人は死ぬのだ。 が、がんばれば何度も死線を乗り越える人もいるのだ。 わたしも夫も、身内を既に何人か亡くしているから、その辺のこ とは少しだけ分かっているのかも知れない。
だからこそ、自分のために生きていたいのだ。 夫を大事にして暮らすのだって、夫のためではない。 自分がその方がうれしいからだ。自分のためなのだ。 子供もおそらく同じ存在になるのだろう。
子供のために生きるのではない。 夫や子供といる自分が、きっと楽しかったりうれしかったりする はずだから、共に生きるのだ。 これは、究極のわがままなのかもしれないが。
愛すると言葉にすれば美しくほんとの声は「快感だ」という (市屋千鶴)
今日は、あんまり気持ち悪くならなかったなぁ。
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