鶴は千年、生活下手

2002年10月22日(火) 人見知り

今日も新しい事務員さんは来なかった。
明日は定休日だし、定休日明けの木曜日から来るんだって。

どうしてこんなに新しい人と会うのが楽しみなんだろう。

小さい頃はすごく人見知りする子供だった。
知らないところではいつも姉の後ろに立っていた。
知らない人に、じっと見られたりするのがだめだった。
いわゆる内弁慶っていうやつだろうか。
学校とか家では、ぜんぜん物怖じしなかったんだが、まったく
見知らぬ人達の中ではじっと大人しくしている子供だった。
自分の位置が分からないと動きが取れない子供だった。
相手にとって、自分はどういう位置にあるのか。
言葉にするとむずかしいけど、要はいい子でいたかったんだね。
周りが期待する自分の在り方を探っているのが人見知りしてい
る期間と言うことか。

小学校の4年生まで、同級生に何か意地悪なことを言われたり
あだ名で呼ばれたりするだけで泣いていた。
悲しいのではなくて、悔しかった。
でも、泣くしか出来ない子だった。
4年生の担任が、わたしに言った。
「そんなに泣くほど悔しいんだったら、言い返しなさい。」
わたしはその時初めて「言い返す」ということを知った。
言い返していいの? って思った。
それからのわたしは、泣かない女の子になった。
(あの母の痣を見ながら泣いた日を除いては。)

そして、学校の中での自分の位置というものが、少しずつわか
るようになった。
例えば、学業成績。
学校の中で一番成績がいいということを、意識し始めた。
一番体格がいいということも、意識し始めた。
自分の言葉が持つ影響力を実感し始めていた。
かなり早熟であったことは確かだね。(^^;)
肉定的な早熟と精神的な早熟を併せ持っていた。
そうならなくては、家での暮らしに耐えてこれなかったからな
のだろうか。

中学で転校した時だって、あんまり人見知りしなかった。
同じ方言で話す子供同士の学校の中だからか。
その上、転校する前に3番までだった成績が3倍にはなるもの
だと思えって先生に言われていたんだけど、3番までというこ
とに変わりが無かったからかもしれない。
成績の上での自分の位置関係があまり変らなかったからだろう。
ソフトボール部でもすぐにレギュラーになれたし、すぐに友達
もできたし、あんまり辛くはなかった。

だけど、上京して都会に出ると一変する。
都会は、自分の位置を見極めるのに時間がかかるところだ。
結局のところ、専門学校での2年間と銀行に入ってからの1年
ほどの約3年間を人見知りで過ごした。

こんなにも新しい人と出会うことが楽しみなのは、今の自分が
自分の位置をちゃんと把握しているから。
それは会社での位置であったり、私生活だったりするが、何よ
りも自分と夫との位置関係がしっかりしているからだと思う。
何が有ってもこの人だけはわかってくれるという人を持つ強み。
新しく出会った人に、例え拒絶されても夫がいてくれることの
心強さ。
とうぜん、夫以外にも、一緒に旅行する身内だとか、これまで
に出会った人達でわたしのことを理解しきちんと見てくれる人
の存在も、また心強い。

だから、わたしは新しく出会った人に
「わたしってこういう奴なんだよぉ〜っ。」
って言って、接していけるのだと思う。

明日は、大切な友達の39歳の誕生日。
一緒にいると、どちらかが人見知りしているときは、どちらか
がなぜか積極的になっている、ナイスなコンビなの。
一足早いけど、お誕生日おめでとう。(^o^)/
そして、これからの人生でも、どうぞよろしく。(^_^)

ずっと、羨ましいと思っていた。
生まれ故郷の近くで暮らしている人を。
明日誕生日を迎える彼女と、幼なじみだったらどんなに良かっ
ただろうかと、わたしは時々思うのだ。

 温泉もお酒もいいがあんたとは子供の頃から会いたかったね(市屋千鶴)


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市屋千鶴 [MAIL]