昨日、帰ってきたのは22時過ぎ。 帰ったら、うれしそうにiPODに充電している夫がいた。 よかったよかった。 晩御飯はと聞くと、チャーハンの素と卵を買ってきてチャーハン を作って食べたんだって。えらいえらい。
2年前の今頃、こんな事を書き残していた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 引っ越してきたばかりでまだ仕事はしていない。 毎日、近所の探索に出歩いていた。 田んぼの中の砂利道を自転車で走っていると、いつの間にか、 30年前に思いが飛んでいた。
小学校5年生のわたしは、稲刈り後の田んぼを歩くのがとても 好きだった。 様々なことを考えながら、時には鼻歌なども歌いながら歩いて いた。純粋に楽しかった。 しかし、その日はいくら歩いても楽しい気分にはなれなかった。 前の日に、わたしは母からこう言われたから。 「姉ちゃんは体が弱いから母ちゃんが連れて行くけど、 おまえは父ちゃんに似ていて可愛がってもらえるだ ろうから、置いていくよ。」 わたしは久しぶりに母の前で泣いた。悔しかった。悲しかった。
父はその少し前頃から、外に女の人がいたのである。 母は我慢強い人ではあるが、我慢できなくなるとはっきりさせ ないと気が済まない人でもあった。 父は、母の追求に返す言葉が無く、暴力に訴えるようになった。 母に「置いていくよ。」と言われたのは、そんな父の暴力に耐 えられなくなっての事だった。 わたしは毎日そんな父と母を見ていたから、母が出て行くこと が仕方の無いことで、その方が母のためだということも、子供 心によくわかっていた。
それでもやはり、悔しくて、悲しくて、母の前で泣いた。 何も出来ない子供の自分が悔しくて、母に置いていくと言われ たことが悲しくて、泣いた。
結局、母は実家から連れ戻されてしまって、わたしのもとに帰 ってきた。 でも、母がわたしを置いていくと告げたことは、深い傷となっ てわたしの心の奥底にしまい込まれた。
それから両親が離婚するまでの3年半ほどの間、わたしは両親 の夫婦喧嘩を毎日のように見て暮らしていた。 そんなわたしの救いは学校であり、そして田んぼのなかや畑の なかを散歩することだった。
秋の風景は、大好きなのだが、また、悲しい記憶も含んでいる。 雪の記憶はわたしを含めた母と姉との三人の記憶、それは離婚 に関わるいろいろだからだが、秋の田んぼの記憶はわたしだけ の懐かしくも切ない記憶だった。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
今では懐かしい秋の田んぼだけどね。 2年前に田んぼを歩いていたとき、散歩する老夫婦に会って、 元気よく「こんにちは〜!」と声をかけたりした。 あの夫婦と仲良くなりたいなと、唐突に思った自分にびっくり もした。 なんだかとてもうれしいような悲しいような気持ちだった。 両親が仲良く年をとって、あんな夫婦になっていたら良かった と思ったのだろうか。 それとも、自分自身があの年齢まで夫とずっと仲良く暮らして いけたらいいなと思ったのだったろうか。 帰ってきて、短歌を詠もうとして、なぜだか涙が止まらなかっ たのを覚えている。それでも↓のような歌を詠んだ。
置いていくといった母の年齢をもうとっくに越えていた。
刈り終えた稲田を歩くずんずんと記憶を土に埋め込むように (市屋千鶴)
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