鶴は千年、生活下手

2002年09月16日(月) ふるやのもり

こんな雨の日には、「ふるやのもり」という昔話を思い出す。

おじいさんとおばあさんの暮らす家に貧乏神がやってくる。
貧乏神が梁の上で二人の様子をうかがっていると、ふたりは
「ふるやのもり」の話をし始めた。
それはどうやら、雨の日にやってくる恐ろしいものらしい。
貧乏神はだんだんと怖くなり、その家からすたこらさっさと
逃げ出してしまう。
貧乏神が逃げ出すと、二人の暮らしはちょっとずつ良くなっ
て行く。
二人の話していた「ふるやのもり」とは、「古い家の雨漏り」
のことだった。
貧乏な自分達の家では、貧乏神など怖くない。
怖いのは「古家の漏り」だけだと、二人は話していたのだ。

わたしはこの昔話が好きで、そんなに詳細に憶えている訳で
はないが、忘れられない。
雨が降ると「ふるやのもり」が怖い。(笑)

昔話はかなり嵌まっていた時期があって、松谷みよこの本で
「日本のむかしばなし」の文庫本を買ったり、昔話系の物語
を読んだりしていた。(うんと若い頃ね。)
一番好きなのは、「龍の子太郎」。(のちに映画も見た。)
両親が離婚した年の春、わたしは母の実家にいてラジオから
流れてきた「龍の子太郎」を聞いていた。
14歳のわたしは、なんだか太郎の優しさと強さに感動し、
涙を流していた。
いつの日か、龍と少年の物語を書いてみたいと漠然と思い始
め、高校生の頃には、受験勉強で忙しい同級生の中にあって、
物語を書き始めていた。
あれから二十数年、結末を書けないままに少年は龍と向かい
合っている。

そういえば、小学生になった姪っ子にずっと持ったままだっ
た原稿を初めて読ませたとき、涙ぐんだ目で「おばちゃん、
結末はぁ?」と聞かれて困ったりしたなぁ。
連ドラなら、最終回のラスト15分を残したみたいになって
いるんだよね。(^^;)

 結末を書かないままで暖めた童話の主は少年のまま(市屋千鶴)


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市屋千鶴 [MAIL]