| 2011年02月26日(土) |
「冬の小鳥」と休みにテン |
「冬の小鳥」
をギンレイにて。
パパとよそ行きのお洋服を着ておでかけした先は、カトリックの養護施設だった。
パパはもう、迎えにはこないんだよ。
1970-80年の韓国。
ジニは、年上のソッキと少しずつ心を許しあい仲良くなってゆく。
夜中、ソッキがこっそり血のついた下着を洗っていたのをみてしまった。
「ケガしたならお医者さんにいかなきゃ」 「ケガじゃないの。だけど誰にもいっちゃだめ」 「どうして?」 「生理がきてる子なんて、誰も養子にしてくれないからよ」
ソッキはアメリカで暮らしたい、と願っていた。 頑なに、「パパが迎えにくるからどこにもいかない」といっていたジニに、
「わたしと一緒なら、アメリカにいくよね」
約束をする。
養護施設に養子をもらいにくる、といえば、様々なよろしくない想像ばかりをしてしまう。
そんなことはない。
ソッキは希望通り、アメリカ人夫婦にもらわれてゆく。
「わたしが頼んでみれば大丈夫だから」
約束を果たせず、ソッキはジニに旅立ちの前に心から謝る。
ごめんね。 本当に、ごめんね。
ソッキは、口をきいてくれないままのジニを名残惜しそうに、施設から旅立ってゆく。
そしてジニもやがて……。
ジニ役のキム・セロンが、とにかくかわいい。 チェ・ジウの、松嶋菜々子の、そのまま少女にしたかのようである。
まことに勝手な偏見だが、わたしはキリスト教なるものの思想やらを押し出されると、上唇が歪んでしまう。 ややもすると、片眉がピクピク落ち着かなくなったりもするのである。
文化や芸術、建築など、彼らなくしてのものはなかったかもしれないことはわかる。
だから否定はしない。
そして。
それに限ったわけではないが、信仰あるひとびとのほうが、えてして他人に対してやさしい、ということが多いのを感じたりもしているのである。
手前勝手なわたしは、困ったときはひとにすがり、それに応えてもらえるよう、神に頼むのである。
この神とは、誰だか知らない。 わからない。 知りたくなければ、わからなくてもよい。
まったく、偏屈な男である。
さて。
昨夜、名友から連絡があったのである。
来月に帰省する話を知らせてもらい、これでまた来月、肉のあてをたしかにする。
そして、
「重松さんのお薦め作品って、何がある?」
これはまた困った質問をされたのである。
まず、ずっとわたしのなかで、今ある作品が、あったのである。
しかし。
わけあってそれは、ぐっと飲み込んだのである。
飲み込んだ勢いで、次に「げっぷ」と出てきたのがあったのである。
「その日の前に」かな。
「おおうっ。そうじゃないかと思ったんだよ」
なんとも嬉しい返事である。 さすが名友、いや真友。 いやさ、心の友。
ジャイアンがのび太に言うものでは、決して、ない。
腐るほどの月日が流れ、すっかり発酵している。
いい醸し具合である。
そんなことがあり、すっかり油断してしまったのである。
タモリ倶楽部の美尻舞う画面を最後に、次に気付いたのは、朝だったのである。
当然、舞姫抜きである。
およそ八時間、しっかり寝たはずであった。
が。
それが通用するならばわたしは鳴子を返上しよう。
おもむくまま。
録りたまっている名古屋はCBC放送の「スジナシ」(TBS深夜にて放映中)を、ゲストを選びつつ観てゆく。
吹石一恵、佐野四郎、船越英一郎、寺島しのぶの回である。
「スジナシ」とは、笑福亭鶴瓶とゲストが、事前の打合せなど一切なしに、すべてアドリブでドラマを演じる番組である。
ディレクターの「カット」の声がかかるまで、つまり、終わりが役者たちにもわからないのである。
目安は二十分前後の時間のみ。
演じる側がどう動くかわからない。 それでも、カメラワークがついてくる。
リハーサルを重ねてカメラ位置やカットやスイッチを決めて撮るのが通常のドラマである。
役者が一発本番ならば。 カメラも一発本番である。
それなのに。
まったくそれを感じさせない。
「CBCのカメラは、日本一のカメラ」
笑福亭鶴瓶がたびたび番組内で絶賛していたが、船越英一郎もまた、大絶賛であった。
「台詞に陰影のある演出をしたくて、隅のほうにいったら、すうっと照明が。 すごいですね。素晴らしいスタッフですよ。 思いつきで、何も知らせてないのにですよ?」
当たり前のように観ていたその技術に、あらためて感心させられる。
そうして昼までは記憶にあるが、次にあるのは、「所さんの目がテン」からであった。
「炭水化物抜きダイエット」
の検証。
ここでタイミングよく目が覚めた自分に、天晴れ、である。
女性に是非、伝えたい。
「炭水化物抜きダイエット」は、女性には効かない。 効くのは男性に対してのみであった。
ということである。
身体のつくりが違うのだ。 このダイエットで燃やす脂肪は内臓脂肪である。
女性は内臓脂肪になるより皮下脂肪になるよう、身体のつくりがなされているのである。
苦しい思いをしても、炭水化物抜きで減らせる内臓脂肪など限られている。 しかもそこに脂肪がつくのが先ではなく、皮下脂肪につくのが先なのである。
医師もキッパリ言っていたのであるから、確かである。
そうしてようやく。
残されたわたしの一日の時間に、ギンレイにいって、それでおしまいである。
まあ、そんなものである。
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