| 2011年02月24日(木) |
「ブランケット・キャッツ」の夢想 |
重松清著「ブランケット・キャット」
二泊三日だけの猫のレンタルペット。
「とても賢いコたちです。 ストレスがかからないよう、寝床の毛布だけは、うちの毛布を使ってください」
たしかに、猫たちは賢い。 まるで昔からいたかのように思わせ、振る舞う。 猫たちが借りられていったその先で、それぞれの物語が、それは猫のではなく、人々の風景が、少しずつ、あるいは大きく変わってゆく。
日常のなかにある種の異物が紛れ込むことで、それはきっと、否定的な存在としてではなく必然的なものとして、できごとや思いを浮かび上がらせてゆく。
七つのそれぞれの日常に、ぽつぽつと足跡を残してゆく。
そしてそれは、とどまることなく通り抜けてゆく。
あとがきで著者は、
この物語は、「桃太郎」や「かぐや姫」のような物語に。
と語っている。
おじいさんとおばあさんに、突然、桃太郎やかぐや姫という孫ほどの子どもができる。
彼らは「すくすく」と成長し、鬼退治や結婚の年頃となり、物語は進んでゆくのである。
親からすれば、その「すくすく」の間こそ、「すくすく」のひと言ではすまされないことを知っている。
しかし「すくすく」で表わせることが、また感慨深く感じたりもするのである。
「異物」という表現が相応しくないかもしれない。
「闖入者」が、それまでの変わらないだろう明日を、変えてくれる「きっかけ」を与える。
久しぶりの重松作品という感覚で、まるでパブロフの犬状態で胸の栓がゆるゆるだったのが、どうやら多少、かたくなってくれたようである。
はうぅっ。
と突然突っ伏してしまうようなことまではなくてすんだのである。
しかし、
うぐっ。
と息が詰まる。 それは間違いない。
それは読みながらの想像によってもたらされるものであり、想像さえしなければそうはならない。
いかに想像させるか。
である。
ああ。 あたたかい毛布にくるまり、そして気のおもむくまま眠るのはとても心地よいものである。
どかんとまとまった休みのときにしか、残念ながらそれをやる機会と、覚悟ができないのである。
次の土日は、それに臨むことができるかもしれない。 いや。 それをするには、リスクが高い。 いやいや。 やはりするべきだろうか。
葛藤である。
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