「隙 間」

2011年01月29日(土) 肉ようぐいす、平安今日

不覚にも、舞姫なしで落ちてしまったのである。

それでも八時間くらいは寝たのだが、三四時間もすると、耐えられずに落ちてしまう。

起きていられないのである。

そんな具合で昼頃に落ちて、夕方前にふと気付くとメールを受信していたのである。

寺子屋からの、晩ご飯のお誘いであった。

なんと素晴らしいタイミング。

久しぶりの土日まるまる休みで、そんな鞭打って働いていた自分にご褒美で何か食べさせてやりたい気分だったのである。

さらに、まさに昨日が健康診断だったのである。
わたしをとめるものは、もはやない。

しかし。

メールが来ていたのは昼過ぎ。
わたしが気付いたのが夕方前。

もう返事のタイミングを逃してしまったか、と不安がよぎったが、えいままよ、と返事をしてみたのである。
しかも、どうせなら、と欲張って。

肉ならば、可、と。
すると。

「応」

ときた。
素晴らしい。
なんと素晴らしいのだろう。

目指すは、我々の地元の名店「鶯谷園」である。

名友も認めた、なかなかの肉屋である。

……。

至福のひとときである。

顔はゆるみっぱなしである。
会話も、肉を口に入れるたび、途切れる。忘れる。どうでもよくなる。

あの肉よ、ふたたび。
肉よ、わたしは帰ってきた。
巡り合い、肉。

はうああぁ……。

互いの仕事の愚痴や、慰め合い、誉め合い、だがどれも申し訳ないが、途切れ途切れでなかなか進まない。

肉の前の笑顔にかなうわけがない。
かなってなど、もらうか。

なんぴとたりとも、我がニク道を阻むものなし。

である。

自分で話をしていながら、肉を含むたびに「っくうぅぅ」と中断し、「で、なんだったっけ?」と返すわたしに、寺子屋は「はいはい別になんでもいいよ」と。

あまつさえ、これはきっと店側のご厚意なのか策略なのか、肉の切れ端が常に奇数なのであったのだが、

「そのひと切れ、食べていいよ」

と。
なんと素晴らしい。
まるで、

Angel

である。

today for U.
tommorow for me.

明日がいつくるのかわからないので、

ようし、驕っちゃる。
ホント?
二言はなしぜよ。試験も受かっちうがろう?
あ、そうだった。
ぐっ。忘れちょったが?
……思い出した。なので、遠慮なくゴチになります。

寺子屋は中国語検定の、ほんの初級にあたるものらしいのだが、それを見事受かっていたのである。

しまった。
鶯谷園にきて食わずにおくべきではない「特上ランプ」「特上ヒレ」など、すでに胃袋に収めたあと、のことであった。

覆水盆に帰らず。

なんちゃって土佐弁がつい豪胆な物言いをさせてしまったのである。

次からは、ちっくと気をつけようと思うのである。

寺子屋は相変わらず夜の十時十一時まで仕事は当たり前、の日々であり、わたしなど赤子同然であり、愚痴るのも恥ずかしいくらいである。

しかし、互いに勤め先が変わって世に云う「OL的女子」を知ることになり、その新鮮な衝撃について語ること尽きなかったのである。

子どもを迎えにゆかなければならないからごめんなさい、帰らせてもらいますね。

ごく当たり前の行為である。
しかし、設計担当者となるとそう簡単に、なかなかうまくはゆかないのである。

それができるのは、人手や体制がしっかりしている大きな組織か。

迎えにいってとんぼ返りで会社に戻り、深夜まで仕事をこなすか。

これが、ドラマや小説ではなく、現実だったりするのである。

そんななかで、はなから

「定時までしか仕事できませんから」

と言ってのける存在や。

帰りにショッピングしてお食事してカラオケ行って、おうちでたっぷり一時間は半身浴して、十二時にはおやすみなさい。

といったものは、それこそ我々にとって、ドラマや小説のなかにしか存在しないものだったのである。

「それが、普通の社会だったんだねぇ」

うんうん、とそろってうなずき合う。

世間は、広かった。
まだまだ知らない世界が、広がっているのである。

我が社の一児の母である馬場さんも、お義母さまが同居しているからこそ、終電までの突然の忙しさになっても、なんとかやってゆけているようなのである。

そんなこんなな千切れ千切れの会話をしつつ、ひたすら、肉を食らう。

ああ。
目を閉じると思い出され、今でも頬がゆるむ。

エデンの園の林檎のごとし。

甘い果汁ならぬ、旨い肉汁。

林檎を齧り、恥らいを知ったアダムとイヴ。

肉を前に、恥ずかしいほどにだらしなくゆるみきった顔をさらしてしまうことをあらためて思い知ったわたしは、もはや人前での恥も外聞もないのである。

たんと、味わわせていただいたのである。

我が肉道に、一片の悔いなし。ドオーン。

しかし、

尽きぬ食い気あり。ドドオーン。

絶妙なタイミングで食事を誘ってくれ、また我が肉道に付き合ってくれた寺子屋に、感謝である。

肉が与えてくれた至福のひとときは、なにものにもかえられない喜びであった。

やはり肉は、素晴らしい。
再び相まみえる日は、いつか。

早く訪れることを、切に願うのである。


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