いしいしんじ著「トリツカレ男」
職場の忘年会の席であった。
「竹さんて、トリツカレ男に似てるんですよ」
ケンくんが、ふと言ったのである。
「あっ、わかるわかる。なんとなくそれ」
お多福さんが、手を叩いて同意する。
タイトルも著者も、わたしは知っていた。
しかし「六枚のとんかつ」(蘇部健一著)の表紙と入れ違って覚えていたわたしは、
「なあん、チェスの頭がおっさんのヤツやろ? どないやねん」
と返したのである。
ふたりはきょっとーんとした顔で見交わし、
「やっぱり、トリツカレてるわ」 「ですね」
と話を先に進めていったのである。
口惜しい。
そう思っていたのである。 しかし天の邪鬼が、はいそうですか、と素直にすぐ読むことを邪魔していたのである。
そして晴れてめでたく、読了、である。
いしいしんじ作品は、初めてでこの作品に限って、の第一印象である。
宮沢賢治
のような作品であった。
とかくひとつのものにトリツカレたようになるジュゼッペ。
オペラにトリツカレたら、すべてが歌わずにいられなくなり、探偵にトリツカレたら、難解な事件の解決に協力してしまうほどになってしまったり。
とにかく、トコトン、なのである。
しかしそれが、いったいいつまで、何がきっかけで、トリツカレるのかがわからない。
すべてが役に立つものであればよいのだが、そうではない。
昆虫採集だったり、かけもしないサングラス集めだったり。
そんな彼が、なんなることか、公園で見かけた風船売りの少女ペチカに、トリツカレてしまうのである。
しかし、まるで少年のジュゼッペは、どうやって思いを伝えればよいのか、わからない。
不器用。
そして、相棒の喋るはつかねずみの協力も得て、ペチカとの距離も近付いてゆくのだが。
純な恋愛物語
である。
なるほど、ケンくんはわたしに、きっと、このような素敵な恋物語を願い祈ってくれているのだろう。
ああ。 わたしがわたしのペチカに出会ってしまったら。
小説を書こうなどと思わなくなってしまうかもしれない。
それは、マズイ。
しかしそれほどのペチカと出会ってしまったら。
それは、それで。 嬉ちい。
ひとつのものに、とことんトリツカレて掘り進んでゆくこと。
それは、実際には役に立ちそうなことではなくとも、素晴らしいことである。
しかし。 勘違いしてはいけない。
そんなことに集中することができるなら、別のこんなことにだってできるはずじゃないか。
それは間違いである。
そのものだからこそできるのであって、そのもの以外には、通用しないのである。
足で歩けるのだから、手だけでも歩けるだろう。
それに等しいことなのである。
しかし。
出来る、と信じ込んでみるのは、いいかもしれない。
妄想は、力なり。
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