| 2011年01月10日(月) |
成人の日に、成ろうとする人へ |
「成人の日」であった。
新成人に、旧成人から何を言ってもけむたいだけであろう。
君らの後輩・弟妹らに、どうか今の君らが、今と明日のことを胸張って、話して聞かしてやってもらいたい。
「すべき」話よりも、「したい」「するつもり」の話をこそ、
今の君らに必要な気がするのである。
何をするでも、「すべき」ことは嫌でも付いてくる。 しかし、「したい」ことは勝手に何かに付いてきてくれるわけではない。
明日やりたいことを、思え。 例えそれが明後日には変わってしまっても構わない。
しかし、変えることを前提に思うことなかれ。
せめて今の自分を、今の自分が信じてやるべきである。
我々はえてして、過去の自分がそのとき描くべき未来の姿を話して聞かせる。
間違いのない、正しいこと。 誰でもが、やるべきこと。
それは、もはや話そうとしている自分のことではないのである。
そんな話など、自分以外の誰かが話しても同じであり、まったくなんのためにもならない。
過去の、話す相手と同じ年頃だった自分が、そのとき何を感じて、思って、何をしていたか。
それが「正しい」必要などない。 「正解だらけ」の話など、どこでも、誰からでも、聞けるのである。
勿論。
あるべき姿を語ることは、大事である。
あるべき姿 あろうとする姿 そこにあった姿
そして今。
目の前の話そうとしている相手と、かつての同い年の自分として、一緒に今日と明日のことを語り合うのがよいのである。
友達同士みたいなものであれ、といっているのではない。
たまにその高さに下りてくるからこそ、いいのである。
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