森見登美彦著「美女と竹林」
竹林に魅入られた著者の、その溢れんばかりの竹林への愛と孤独と裏切りと、そしてやはり愛の物語である。
作家稼業だけでは心許なく、将来に不安を覚えた著者は「多角的経営者」を目指すことにする。
かねてからすき焼きであった竹林を起業に選ぼうとする。
「森見バンブーカンパニー(MBC)」
まずは竹林を所有する知人の、いまや伸び放題の桂にある竹林の伐採作業からとりかかるのである。
しかし。
司法試験を控えた学生時代の友人、編集部の皆々、などを巻き込みつつもちっともはかどらない。
清談猥談、虎視眈々。 瞑想妄想、東奔西走。
竹のように真っ直ぐな、ではなく、竹の「根」のようにしぶとく広く、ひたすら愉快な思考思想自問他答、である。
傑作は「机上の竹林」なるもの開発、商品化である。 (MBC(森見バンブーカンパニー)のヒット商品であり、勿論、妄想世界の実在などしない商品である)
ふと職場の机をみやれば、そこにサワサワと竹林が葉を揺らしているのである。 癒されること間違いない。
やがて「持ち運べる」ポケットサイズの竹林が商品化されるのだが、わたしはまだそこまではいかなくともよい。
わたしも「かぐや姫」を探しに、竹林へと入り込もう。
竹林としてよくご近所で見かけるのが「孟宗竹」なのだが、「かぐや姫」のお話の時代には、まだ「孟宗竹」は日本に生えていなかったらしい。
つまり、「我がかぐや姫!」と猛り狂って孟宗竹林に分け入ってみても、そこに「我がかぐや姫」は、いないはずなのである。
いいや、いる。 時代が変われば、住まいも変わるものだ。
自信を持とう。
竹林、皆、兄弟である。 素晴らしき妄想竹である。 竹馬の友である。 竹立て掛けたのは竹立て掛けたかったのである。
なぜ、ひとはこうも竹林に心惹かれるのだろう。
ああ。 我がいとちの竹林はいずこ。 かぐやちめよ、いずこ。
もはや姫ではなくなっている。 末期である。 早く竹林にて、青々とした清風に思考を漂わせ、深く身を委ねなば。
しまった。 この季節に青竹ばかりの青々とした竹林など、あるわけがない。
枯れ竹林もまた「ワビサビ」いと深しだが、今のわたしには、ただの「ワサビ辛し」である。
「あのもし」
と家具屋が竹で編んだかごを抱えてにっこり微笑みかけてきたら、
「全部でいくらだい?」
とレシートばかりでかさんだ財布からなけなしの札を抜き出そうとするだろう。
しかし出てくるのはレシートばかりで、札など一向に出てこない。
見るに見兼ねて、「どうせ売れ残りですし」とまるまる置いていってしまう。
部屋でひとり使い途がない竹かごに囲まれて、灰汁抜きを忘れた若竹煮をかじったような顔になり、シオシオと萎れてしまうだろう。
とんだ「かぐや」違いである。
竹取の翁は、娘を竹林にて迎え入れることはできたが、それは嫁ではないのである。
しかし本作品内にて、森見登美彦氏は竹林にて妻を見つけたという。
こうしてはおれない。 わたしも行かなければ。
いざ、妄想竹の竹林へ。
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