| 2011年01月03日(月) |
たま卵なく御礼モウし上げます |
お年賀をいただいたのである。
「明けましておめでとうございます」
わたしが谷中の拙宅にて新年初めて出迎えた彼は、まばゆい光を背負っていた。
馴染みの猫屋さんである。
ああ、本年もどうぞよろしくお願いします、とひとしきりお辞儀をし合い、「ではこちらへ」と署名を済ます。
「お肉ですねぇ」 「ええ、お肉ですねぇ」
昨夏旅でたいへんお世話になった京のお上さんから、であった。
「近江牛」
なんとブランド肉である。
「切り落としの端っこを集めただけの、そんな大層なものではありしまへん」
との言葉を鵜呑みにしていたわたしは、実物を目の前にして、んがっうぐっ、と磯野家の長女のように、つばを飲み込んでしまった。
しかも、美味しそうな卵のパックまで、たんまりと入れていただいていたのである。
「すき焼き」
以外にわたしの頭に浮かぶものはなかった。
刺しでどうぞ、とのお肉もいただいており、両手に百花繚乱である。 お花畑で、るーらららー、な気分である。
浮かれた気分で、ガサゴソと中身をあさっていると、ジップロックに封入された、まあるい薄茶色をした「円盤状」のものを発掘したのである。
ギョギョ。
海月の燻製か、押し潰れた珈琲蒸しパンか、はたまた……胸当て用の詰め物のアンコか。
皆様には、最後のわたしの不埒な印象は忘れてもらいたい。
取り出してみたふたつの「円盤状」のものを、試しに両目に当ててみる。
「薄茶色」の混濁した世界が見える。 この世の誕生の、混沌のその源をいま、わたしは目の前にしているぞ。
感動にうち奮えることなく、てい、と両手を下ろす。
つまらん。
陽の光が燦々と降り注ぐその下で、まじまじと両手に握られたそれらを観察する。
「ジョワッ」
胸のカラータイマーが点灯しだすこともなく、トサカがはずれてクルクルと弧を描くわけでもない。
エースは、こんなまんまる目ではない、せいぜいゾフィーかエイティーだろう。
わかっている。 これは餅である。 しかし、この色は見たことがない。
プチプチプチ、と携帯をいじくって教えてもらう。
「栃餅」
というらしい。 栃の実を手間を掛け灰汁をとり練りこんだもの、とういきぺであにも載っていた。
携帯で教えていただいた通り、まずひとつ、焼いてみる。
ティン。
なんとも歯切れのよくない音と共に、わたしは薄茶色のそれと再会を果たす。
オーブントースターのその真ん中に鎮座おわしますのは、ふっくらと微笑むお多福様のような顔。 冷めた外気に触れた途端、ふしゅう、としなをつくる。
ぐうぐるなどによると、砂糖やら甘めのものをつけるのがよいらしいのだが、「餅は醤油」が我が家の基本である。
きな粉があればそれをまぶしたい、との無い物ねだりをねじ伏せ、それがブリッジで跳ね返されないうちにパクリとかぶりつく。
おいちい。
はむはむぱくぱくを繰り返し、わたしは嘆いた。
「なぜ、ひとつっきりしか焼かなかったのだろう」
こういったものは「勢い」が肝心なのである。 ふたつみっつ同時にトースターで焼き、ぱくぱくはむはむと、至悦の「おいちい」を連呼していただろう想像上のわたしに、焼き餅をやいてみる。
ぷくう。
三十路もとうに半ばを越えたおっさんが、ひとり頬を膨らましてみても気持ち悪いだけである。
お肉がわたしを待っている。 炊きたての白飯で、ぜひいただこう。
その前に昨夜の残飯を処分しなくてはいけないことを思い出す。 処分といっても廃棄するのではない。 きちんと胃袋に放り込む。
つまり、せっかくのお肉はお預け、ということである。
うらめちい。
冷蔵庫のそれを恨めしげににらみながら、ちょちょいと脇に押しやる。
お肉様は、威厳高く、堂々と真ん中に鎮座ましまする。
わたしは両膝をつき、しずしずと扉を閉め、冷蔵庫の前にて二礼二拍そして一礼す。
なむなむ!
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