明けましておめでとうございます。
旧年はたいへん皆様のご厚情にお世話になりましたことを、ここに深く御礼申し上げます。
大晦日に実家に帰り、思ってもいなかった友人に、不意に呼び止められたのでした。
お向かいさんでもあった札子さんです。
中学の同級生で、彼女は現在二児の母。帰省で実家に戻ってきていたところでした。
札子さんのご家族、ご両親とお姉様は、わたしの記憶に違和感なく、帰省でお顔を見かければ「御無沙汰してます」などとすんなりご挨拶するのですが。
札子さんは、中学卒業後から数えるほどしか顔を合わす機会がなく、中学生の頃のイメージばかりが、強くいつまでもわたしの中にあったのです。
「竹くーん」
札子さんのお父様とお姉様がこちらを見ているところから、聞き覚えある声と共に駆け寄って来る女性の姿。
間違いない。 間違いなかが、何や記憶よりべっぴんさんになりゆうおなごが来ゆう。
「久しぶりじゃーん」 「お、おう」
へどもどしているわたしは、札子さんの後ろを過ぎて行くお父様らにペコリと一礼しつつ、違和感を拭い去ったのです。
ぺったら、くっちゃら。
元よりお喋りが達者な札子さんに、違和感の次にあった肩の力をほぐされたわたしは、しばし井戸端ならぬ道端会議にうつつを抜かし、すっかり話し込んでしまいました。
「家まで来るのに何時間かかってるんだ」
父からわたしの安否を問うメールが、会議に終止符を打つことになりました。
よもや家の目の前で、頼んだ買い物袋をぶら下げたまま時間を潰しているとは思わなかったようです。
わたしも思っていなかったのですから仕方がありません。
「ごめん、おじさん待たせちゃったね」
と札子さんが携帯を取り出し、
「連絡先、教えといてよ」
と携帯電話の先っちょを差し出してきたのです。
赤外線で受信、です。 そこから番号入れて返信、で済むはずだったのです。
「ねえ、全然届かないんだけど。赤外線で頂戴な」 「うぐっ」 「どうしたの?」
鏡に囲まれたガマのように、携帯片手に固まりかけているわたしに、札子さんが怪訝な様子になりました。
「ちょっと待って」
わたしは携帯電話を始終いじっているとはいえ、それはプチプチと文字を打っている以外に、他の便利な機能やらを使ったことがほとんどありません。
えと、ポチ、ポチ、これかしらん。 ていっ。
掛け声を掛けなくても赤外線は飛んで行ってくれます。
だけど何が飛んで行ったのか見たことがなく、もちろん送っている中身が途中で見えるわけがないので、わたしは不安になりました。
いったい何が送られちうが、ちっくと見してくれるろう?
初めて見たのです。
余計なテキストメモまでが、のうのうと或いはしれっとくっついて送られていたのです。
「これ要らない。これも、それも」 「え、これは? これも?」
へどもどを通り越して、あられもないまごつきようでした。
すっかり、若者のようにスマートに機械を操れなくなっている自分を思い知らされました。
仕事でも、そういえば新しいことはだいたい大分県におんぶに抱っこで聞いたり教えてもらったりしているような気がします。
「株を守りて兎を待つ」
ばかりではいけません。 今年はせめて、
「兎を見て犬を放つ」
ための犬くらいは、常に傍らにあるようにしてゆきたいと思います。 今のままでは、兎を見て、ペットショップへ行って、チワワにするかトイプードルにするか、いやいや柴犬だろう、フレンチブルもありか、と選べないまま兎はとうに巣穴でくつろいで、ということになりかねません。
ペットショップから出てきたわたしはきっと何も抱いておらず、どれを選ぶか迷ったことだけに満足して、当初の兎のことなどすっかり忘れてしまっていることでしょう。
ほくほくした笑みを浮かべて、ああようく迷った、と悦に入りながら家路に向かう。
日本昔話に出てきそうなお間抜けさです。
もとい。
ですます調で物を書いていると、余計に他人が書いているようにあやしげな気持ちになってしまうのである。
こちらの調子のほうが、幾分、しっくりくる。
これはどうやらへんちくりんな方向でわたしのなかに浸透してしまっているようである。
さて。
一年の計は元旦にあり、もとい、元日にあり
ということで、ひとつ計ってみようと思うのである。
ここで勘違いをしていただかないよう、釘を刺さしてもらうのだが、あくまでも「計る」ということであることをご理解いただきたい。
一年を何で計るか。
「RENT」においてMarkらは仲間たちの、喜び悲しみ怒り哀しみ、それらの幸せ、つまり愛によって一年を計った。
わたしも同じように、素晴らしき仲間たちが、いる。
しかし「RENT」の仲間たちのように、常に傍らにいてくれるわけではない。
彼らの時折届けてくれる愛の数を噛み締めるその前に、まずわかりやすい自分の出来事で、一年を、今年を昨年と比べられるように、物差しを定めよう。
手前勝手ながら、それは締切の数、であろう。
偏りや内容量の差こそあれ、
何の、いつ。
それを目安に一年を、自分が今どこら辺にいるのか、しおりのようなものとして。
二月末。 三月末。 四月末。 五月中旬。 六月末。 七月末。
ちょっと待て。 ほぼひと月ごとに各賞の応募締切がある。
こるではカレンダーをめくるのと変わらないではないか。 秋は小康状態、
十月末。 十二月中、末。 一月末。
やはり締切だけを並べるのはやめにしよう。
半期に一本。
たったふたつっきりの目盛りならば、なんとかなるだろう。
休眠しているものを叩き起こせば、楽勝、のはずである。
二百枚枠はそう幾つも書けるわけではないが、百枚以下の枠ならば、なんとかなる。
今年は銀の雫にリベンジしたい。 ちくちくと一部の方々に送らせていただいていたものを、ひとまとめにして整え、それをしかるべき先に出せるようにしたい。 太宰あたりにも出したい。 そうだ小学館にも、あらたに長編でもみてもらえるようにしたい。
こうしてあげつらうのは簡単である。
だから、実現可能なものやところの、小さなハードルを置く。 体裁やレベルをともかくとすれば、あとは抜き足の右足を、クイッとするだけなのである。
なんだか出来るような気持ちに洗脳されてきた。
新年のはじまりもなんのその。
さあ、いざ。
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