| 2010年12月22日(水) |
大森で「イッツ・オンリー・トーク」 |
絲山秋子著「イッツ・オンリー・トーク」
書店でハッと思い出し、ふと読みたくなった。 ずっと、いつか読まなければと思いつつも、思ったそばから忘れてしまっていたのである。
本作品は、数年前に映画化されている。 そしてそれを、わたしは観ているのである。
「やわらかい生活」
寺島しのぶが主人公の優子を、豊川悦司が祥一を演じている。
蒲田の街を舞台に、やわらかな日々を送る。
EDの元同級生の議会議員や、気持ちいい痴漢や、うつ病のヤクザや、ダメ男のいとこや。
他人からみれば大したことないようでも本人にとってはそうでないことばかり。
キング・クリムゾンにのせて、そんな日々を「人生は無駄話さ」と歌い飛ばす。
「やわらかい」とは、躁鬱病で入院までした優子が、それを避けるために選んでいた自分にやさしい日々である。
わたしは映画公開当時、ナルコに仕事で参って休職中だった。
「あなたはうつ病には転ばない、ちゃんと逃げ道を持ってるひとだよ」
と太鼓判をイ氏に捺してもらい、それに「逃げ道のない道にはゆきません」とふんぞり返って答えたわたしであった。
ネガティブがゆえに、適当なところでスッパリ楽天に寝返る。 寝返るまでは、最悪な状況を思いつくままに仮定しておく。
だから、考えても仕方がなくなり、自然に楽天に開き直るのである。
転びはしないが、毎日を普通に過ごすにはそれなりに毎日をやわらかく過ごさねばならない身体であることを、今年は痛感、いや再認識させられることばかりであった。
これはつまり、糖尿病のひとが常にインシュリンを必要とするのと同じようであり、また透析に通わねばならないひとと同じようでもある。
わたしのやわらかい生活は、これからも続く。
私事は置いといて。
どうだこれが「新人賞」の作品だ、と最近の甘木作品にいいたくなる。
「どんな作品だったの?」
年末のご挨拶を兼ねて大森である。
二、三十分で立ち読みできて、内容はあまり印象に残りませんでした。 ああそう。でも立ち読みで読めたってことは、読みづらい読む気にもならないものじゃあなかった、てことだね。
イ氏の言葉に、目からウロコである。
たしかに、字が大きかったとはいえ、眉をしかめることなく、嫌気が鼻を突くわけでもなく読むことはできた。
でも、それで受賞に値するなんて印象は、なかったです。
「じゃあ、竹さんの今年一番の作品を、聞いとこっかな」
朝倉かすみ
です。 このひとは、好きです。 今年というわけじゃあありませんが、今年、あらためて確信を得ました。
やんややんや。
閉院時間まぢかでわたしが最後となれば、存分に話に花を咲かす。
「ルポルタージュ、みたいなのを書いて御覧よ」
へ?
抽象画みたいにウソの中に本当を包むんじゃなくて、本当を本当で表してゆく。
「こないだのニコライ堂のくだりの話みたいに、さ」
高校受験のとき。 学校見学を兼ねて母校の文化祭「紫紺祭」を見に行った帰りであった。 父とふたりで行ったので、土産にバザーで売っていたケーキを買ったのである。
「ニコライ堂でも見てから帰るか」
父はふらりとわたしの前を歩いて、入っていったのである。
ニコライ堂はジョサイア・コンドルという有名な外国人建築家による建物である。
すたすたと堂に入って行く父を追いかけてわたしも入ろうとしたら、
「ご遠慮ください」
と、不意に押し止められたのである。
休日の開放日で、わしゃわしゃとたくさんのひとらが出入りしていたなかで、である。
え、なんで、ボクだけ。
中学生のわたしである。 あからさまな異教徒の格好をしていたわけでも、凶器と狂気を振りかざしていたわけでもない。
「食べ物のお持ち込みは、ご遠慮いただいてますので」
ケーキの箱を持っていただけである。
箱から出して、口の周りに生クリームをたっぷりくっつけて、もしゃもしゃとショートケーキをほお張っていたわけではない。
いくらボクなわたしでも、そこまでまだ食いしん坊ではなかったのである。
父は後ろに目があるわけでもなく、わしゃわしゃとたくさんのひとらが出入りしているなかで、わたしによもやそんな事態が起こっているとは気付くはずもなく。
と、父さーんん……。
見知らぬひとらの重なっつゆく背中の向こうに遠ざかり、見えなくなってしまったのである。
入口はここひとつだけ。 すぐ横にボクを止めたひとがじっと立っている。
仕方なく途方に暮れて、ボクなわたしは父がフンフフンと後ろ手に「どうした、なんで入らなかったんだ」と出てきてくれるまで、ケーキの箱を抱っこしたまま立ち尽くしていたのである。
「持っててやるから、行ってこいよ」
との言葉に、じゃあ、と従うようならば、天の邪鬼なわたしなわたしはここにはいない。
ひとりで見たところで、何が凄くて何をどこを見ればよいのかなんてわかるはずもなく。 なんせ、観光地に行っても屋台の焼きトウモロコシやお好み焼きにばかり目を胃袋を奪われているただの中学生である。
奪われているのは今も同じで、代金を自分で払うようになったくらいしか成長は見られないが。
そんな思い出話をしたのである。
見たものをそのまま書き通して作品にして御覧よ。 その感じだと面白いと思うよぅ。
イ氏は期待満面である。
いや、その。
それはつまり、ここでやっていることそのものであり、その延長に、作品があるつもりである。
いや違う。
作品への途中に、後からここを置くことにしたのである。
置いて置いて、だんだん連なって作品に繋がってきたら、それはよいことである。
ところで。
「なんで水曜にきたの?」
木曜が祝日だから次回は水曜に来ます、て前回いったはずですが。
「あ、そうだったねぇ。祝日でも午前中ならやってるのに、何で?」
休みの日に会社の先までやってこなきゃならないのは辛いので。
「そっかぁ……」
残念そうな顔と声を向けられても、仕方ない。
「あらあ、久しぶりじゃないの」
田丸さんの代わりの不死鳥さんが、これまた水曜にきたために久しぶりの再会に目元を緩めている。
待合室の椅子に、いつの間にかイ氏までどっかと腰を掛け、水曜だ木曜だ、の話を再燃させる。
「あ、もうできちゃったの」
受付がどう割り込もうか躊躇していたのをイ氏が気付き、
ちぇっ。
と、舌打つ。
ちぇっ、て。 じゃあ。
「うん、よいお年を」 「今年もお世話になりました」 「よいお年を」 「よいお年を」 「メリー、じゃなくていいのね?」 「はい、メリーな予定なんかありませんから」
不死鳥さんに、笑い返す。
「来年の新作、楽しみにしてるからね」
イ氏に、ええまあ、と曖昧にごまかす。 芝大門の頃からの付き合いであるおふたりである。 ここに今日はいない田丸さんや受付の方らを含めて、まさに
「イッツ・オンリー・トーク」
な日々を支えていただいている。
来年もまた、よろしくお願いします。
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