重松清著「季節風・冬」
久方ぶりの重松さんである。
「普通の人々の小さくて大きな世界を描き出す」十二篇の冬の物語。
ああ。 やはり、重松清は素晴らしい。
「バレンタイン・デビュー」
なんか最高に、くすぐったい。
ずっとモテずに過ごしてきた高校生の我が息子を気遣い、
「いいか。絶対に口に出すなよ。触れるな。何もない普段の一日のふりをするんだぞ」
妻と大学生の長女に、よおく、強く、言い聞かせる。
バレンタインデーである。
義理チョコの一個だって、もらって帰ってきたことがない。 そんなヤツに、母親と姉からだけしかチョコをもらえないなんてことは、傷付く以外のなにものでもないんだ。
だから、何も用意するな。
「じゃあ、晩ご飯くらい好きなものをたくさん作ってあげとこうかしら」
との妻の思い付きに、
「バカ。それも余計なことなんだ」
そうじゃない。 そんなもんじゃないんだよ。
「義理チョコくらい、わたしたちからあげたって同じじゃない」
という妻と娘に、諭す。
「たとえ義理チョコでも、他人からもらうからいいんだ。 そのひとつひとつが、自信に、なってくんだ」
だから家族からじゃ駄目なんだよ。
わかる。 わかるぞ。 だけど、なんかズレてることもわかる。
やたらと「バレンタインのチョコレート」が年頃の男子にとって如何に大切なイベントかを、力説して聞かせる。
生まれて初めてもらったチョコレートが、大学生の頃で、妻からのだった。
そんな経験をしてきた俺だから、わかるんだ。
わかるわかるわかる。 ついついそう力んで、勝手に理解して、力になってやりたくなる。
そこで長女が母親に、呆れた顔で尋ねる。
「なんでこんな人と結婚しようと思ったの?」
さぁ〜……。
妻は首をひねって娘に答えるのである。
これはもう、最強の家族である。
いいか、浮かれた顔、明るい顔をして帰ってきたからって、喜ぶなよ。 そういうときは、決まって駄目だったときなんだ。 わかったか。
はいはい、と付き合う女性陣。 そこに息子が予備校とバイトを終わらせて帰ってくる。
このことに関しても、親バカっぷりは顕著である。
学校だけじゃなく予備校にバイトなんて、貰える機会が多いのはいい。
だけどそれは、逆に貰えない機会が多いのと同じ、諸刃の剣だ。
ぷくくくくっ。
頬を膨らまして笑ってしまう。
息子は、いつもと同じ仏頂面であった。
「よしっ」
これは貰って帰ってきたに違いない。
妻と娘も、小さくガッツポーズである。
ああ。 わたしも一緒になってガッツポーズをしたい。
しかしそれはバイト先のおばちゃんからのものだった。
うん。 それでもいい。 そうやってひとつひとつ、自信を積み重ねてゆくんだ。
うんうん、とわたしも頷く。
そうやって自信をもって、その自信が表れて、次に繋がってゆくんだから。
まさにまさに。 目頭が、じんわり熱くなった。
「それ、みんなで全部食べていいから」
息子はテーブルに、ポイと置いて自分の部屋に戻ろうとする。
父親の俺は、おい、いいわけないだろっ、と。
「自分のは別にあるから」
息子よっ。 そうだったのかっ。
やったじゃん、と妻が目で答える。
ううううう……。 よかった。 そして息子のぶっきらぼうな照れ隠し。 わかるぞっ。
お言葉に甘えて息子の義理チョコを感慨深く摘んだとき。 携帯電話が鳴り、娘がそれまでのとは違うトーンの声で出る。
おい、なんだ、誰だ、誰と話してるんだ。
「いいじゃない。年頃の娘なんだから」
妻がニッコリ応える。
息子ばかり心配してる場合じゃあない。
親になるということは、些細で馬鹿らしい小さな出来事でも大騒ぎな毎日を送ること、なのかもしれない。
重松清は、
そうじゃない。 うまく言えないけれど、そうじゃないことはわかる。 わかっているけど、そうとしか言えずに、そう言わざるを得ない。
そんな影とひなたの境目のところを、巧みにすくいとる。
といっても、ほら、とすくった手のひらをひなたに差し出すようなことはない。
影を踏むときに、ひなたに踏み出すときに、そこをまたいで、一歩。
頬を、指先を、刺すような冷たい冬の空気のなか。 はあっと、かじかむ指先に息を吐きかけるようなあたたかい物語たち。
わかっている。 そんな物語を描きたいことを。 わかっている、の後に「けれど」が付くのか、「のに」が付くのか。
まだまだ、だなあ、とため息をつく。
それもまた「諦め」なのか「やる気」なのか、それともその両方なのか。
出来るかぎり、両方をすくった手のひらを、こぼさずにゆきたい。
|