「隙 間」

2010年11月27日(土) The Tango...

ただケーブルの接触の調子が悪いだけだと思うから……。

「土曜日に、ランチでもどう?」

寺子屋からの誘いに、応、と答えたのである。

てっきり銀座かどこか、当日の何かの用事の帰りがけの途中での誘いだろうと思っていたのである。

だから、どこら辺がよいのかと訊ね返したら、

「地元、谷根千でしょう」

と。
寺子屋もこの近所に住んでいるのである。
しかしだから、敢えて近所でというのはなかなかなかったのである。

待ち合わせは徒歩五分のとこであり、近いところほど、ひとは油断するものである。
まして、わたしはよほどでない限り、ギリギリか、やや遅目に姿を現すのである。

先日、凪にチクリと刺された通りである。

とっくに起きていたが、目覚ましにシャワーをかぶってから時間を確かめると、五分前、である。

「三十分ばかり、遅らせて」

ああどうしよう、どうしようもないか、と構えなおしていたところに、寺子屋からの連絡が入っていたのである。
おかげで、わたしは慌てず三十分後くらいに待ち合わすことができたのである。

寺子屋は、時間を遅らせてしまって申し訳ない、といってくれていたが、遅れて困ることもない。
むしろよいタイミング、であった。

さあランチである。

我が麗しの気象予報士であるネモミこと根本美緒さんがご来店されたことがある、これまた徒歩三分のとこにあるお箸でフレンチの店である。

毎朝、わたしが駅へと、または赤札堂へと前を通過していた店である。

まあ、飾らぬ店であり、飾らぬ店だからこそ、ワンプレートランチに関わらず長居してしまった。

賽の目にトマトソースがかかっていた野菜がいったい何か、途中から議論が始まったのである。

発端はわたしである。

「トマトに大根?」
「え?」

わたしはまだ三つほど皿に残った状態で聞いてみる。
寺子屋はすでに残り一つになっていたのを、まじまじと見下ろしながら、パクリと口に運ぶ。

「かぶ、でしょう」

いやいや、これは大根だ。
この酸味はかぶだって。
いやいや、苦味が大根。
だから、かぶだって。
かぶでこんな立派な賽の目にはできないだろう。

「うーん、そうかもしれないけど」

ささやかな勝利を得る。
しかし実際の答えを店からいただかなければ、それはまだ早過ぎる確信である。

「すみません」

給仕の方に訊ねると、「はい、大根だったと思いますが」と答える。

「よしっ」

ガッツポーズで、ふふんと鼻を高くしてみせる。

トタタタと給仕の方が引き返してきて、

「すみません。かぶでした、京都から取り寄せてる」

向かいで寺子屋が、「してやったり」と意気を取り返しニッコリと勝利の笑みを浮かべていた。

そうか、京都のかぶなら、しっかりと賽の目にできるほどに大きい。
頭になぜか千枚漬の姿が浮かび、敗北感を酸味と共にほろ苦く噛み締める。

店を出ると、寒さがブルブルと染み込んでくる。

なにせわたしは、昼飯だけだし、と赤札堂へ買い物にゆくような格好で出てきたのである。

店に長居もしたし、肌寒いし、さらに寺子屋は仕事のメールをチェックしに家へ戻らねばならない、という。

「じゃあ、上着も欲しいし」

そういうことならば、まあそろそろ頃合いだろう、と。

「じゃあ、一時間後くらいに」
「済んで連絡くれれば、そしたら出ますので」

わたしはその足で赤札堂に入り、広告の食パンと牛乳を買って帰ったのである。

冷蔵庫に牛乳をしまいながら、ふと想い淀んだのである。

「なぜまた一時間後に」

となったのだろうか。
まあ、やっぱり、という気になれば、寺子屋から断りがくるだろう、いや、それなら断りやすいようこちらからそんなひと言を送っておくのがよいか。

つまらない深謀遠慮である。

しかし、考えながらも時間は刻々と過ぎてゆく。
ベッドに腰掛け、携帯を開き、にらめっこしたまま。

落ちていたのである。

「ブーン、ブーン」

左手で突如震えだした携帯に呼び戻され、

「はいっ、もしもし」

居眠りを起こされたときの、寝起きの第一声の、素っ頓狂な声で、反射的に出てしまったのである。

「お待たせしました」

寺子屋からであった。

あれ?
おや?

このように落ちていたところから復活したときには、軽く全速力で走ったときのような心拍数に、なっているのである。

頭は空白、状況把握に追いつかない。

「寝てたでしょう」
「いやいや、大丈夫。おう、大丈夫」

今どこどこを歩いていて、じゃあどこどこで、と電話を切る。

小中高生の頃は、正直全速力で徒競走やリレーで走ったとしても、後半は流す程度でも十分速かった自負がある。

しかし今のそれは、それ以上なのである。

急ぎ財布と上着を支度し直し、空白の頭の中に、バクンバクン、と極太字で鳴り響くまま、外に出る。

小走りで表に回って、そこで心臓が、一瞬、

止まった。

寺子屋が、ふうんと、目の前に立っていたのである。

我が家の階下にあるイタリアンの店を見ていた、らしい。

「どわっ、ビックリしたっ」

その声に振り向く。

なんでわかった?
なにが?
なんでこんなとこに?
美味しそうなお店があるから今度こようかなぁ、と思って。
で、なぜここまで来てん?
どこどこまで来て、まだ来てなかったから、さっきこの道から出てきてたから、ここにくればいいかな、と。

我が家はその裏側に出入口かあり、右回りで道に出ていたら完全にすれ違いであった。
左回りを選んだのは、無意識である。

うち、この上やねん。
うそ。
うそちゃう。
じゃあ。

「この店きて、お勘定のときになったら連絡するから」
「お勘定だけかいっ」

ベランダからお勘定だけ、ちょうだい。
おりてくるんちゃうんかいっ!?
うん、お勘定だけでいいや。

百円ショップでビニル紐とザルを買って用意しておこう。
しかしそんな日が来ないことを祈るばかりである。

さあ、ここから、である。

谷中に来たならこのパティスリーを是非。

「イナムラショウゾウ」

である。

寛永寺側の谷中霊園入口脇にある店は販売のみだが、ひっきりなしの大盛況である。
反対側の日暮里側にある店は、チョコ専門で、カフェもついているのである。

ひとりでフラリと入るには敷居が高すぎる。

「美味っ」

まったりととろけるようなチョコに、ブランデーの薫風のような香り。

「ブランデーなんてよくわかったね」

馬鹿にするでない。酒は飲めぬがブランデーくらい香りでわかる。
あっそ。

チョコのケーキにまさか日本酒や焼酎が入っていたりするはずがないだろう。
いや待て、どこかで日本酒をスポンジかなにかに染み込ませたのがあると聞いたような。

しかしそんな話は束の間である。

もっぱら仕事の愚痴や不平や不満や、共感を求める話で、それらをおおいに吐き出し合う。

いや。
吐き出してもらう。

わたしのそれらは、もうそこそこあちらこちらで吐かせてもらっている。

しかし寺子屋のそれらは、話を聞いてもらえても会話になる相手がいないらしい。

それが当たり前、ときているひとらに、いやいや当たり前はこうだから、とわかってきているひとの言葉は通じないのである。

つまり。

電子レンジでチンすれば料理なんか簡単じゃん。

というひとに、

安いのや安心なのや、野菜や魚や肉を買ってきて、洗って刻んで捌いて、味付けでひと工夫してみたりして、そうしてやっと「料理」ができて、さあ召し上がれ、と食卓に並べて食べてもらう。

という話が理解してもらえないのと同じである。

かつて同じ釜の飯を食っていた、というのは古臭い言い回しだが、だからこそ共感もでき、会話にもなるのである。

今回、口うるさいことをわたしが言わずに、まあまあ、と聞いていられたのは、ひとへに絶品のチョコケーキによるものであった。

やはり、甘いものは重要である。


Markな一日ではあったが、こんな日があってもよいだろう。

Halloweenは、とっくに過ぎている。


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