| 2010年11月07日(日) |
孤独な鳥がうたったあと |
「孤独な鳥がうたうとき」
渋谷BOXXにて。 つい先日誕生日を迎えられた篠原美也子さんのライブである。
しかし。
最近どうも、高ぶりのようなものが落ち着いてきてしまっている。
よろしくない。
先日、やはり誕生日を迎えた友人に祝電を贈り、同じ日に誕生日だった麗しの小西真奈美さんのこともすっかり忘れてしまっていたほどである。
日にちに関する記憶が、ますますあやしい。
慌て送られてきた篠原さんのチケットの封を切り、日にちと時間を確かめる。
うむ、とようやく三日前にカチリとピースが当てはまる。
モディリアーニ画伯には当然ご足労いただき、直前にはリタ嬢にもご助力願う。
万全である。 しかし、うすぼんやりとした感覚はやはり否めないところが、ある。
願わくば。 落ちることなく。 終演まで。
立ち見ありのなかなかの盛況ぶりであったが、わたしは後ろから二列目のほぼ真ん中に、ポツン、とひとつ空いた席に尻をねじ込んだ。
そこが、落とし穴。
前の席の男性が、背が高い。 ど真ん中で、肩と頭がステージの篠原さんとの間に立ちふさがる。
右に左に、隣席に迷惑が掛からぬよう首をねじ曲げ、ようやく片目で見られる程度。
諦めかけた開始十五分後。
ゆらりゆらりと前の方が揺れはじめたのである。 わたしも合わせて、彼の反対側に右なら左に、左なら右にと首をずらす。
するとやがて、彼は完全に船を漕ぎだしたのである。
複雑な心境だが、漕いでうなだれたままでいて欲しい、と願ってしまった。
しかし漕いでいるのだから、ハッと起き上がることがある。 そうなると、わたしはふたたび、ぐいと首を片方にねじ曲げ、片目で篠原さんのご尊顔を拝謁することになる。
それを何度も繰り返しているうち。
はじめはおそらく、船を漕いでいる彼、を気にしたのだろう、ステージ上の篠原さんが、こちらをみたのである。
ゆらゆら揺れ、船を漕いでいる彼の背後に、彼がうなだれたときにだけ、しっかと篠原さんを見つめている眼鏡の小男。 服が黒なものだから、顔だけの背後霊かなにかか、と思われたのかもしれない。
「あーあ、なんかかわいそうな席の男がいるなぁ」
くらい、目ざとく気づいてくれたかもしれない。
思い込み、気のせいだとしても、ひょっこり、前の彼がうなだれている束の間のそのとき。
こちらにあたたかくピアノを弾き、唄ってくれていたような気になったのである。
篠原さんのライブの特徴である「途中休憩」
立ちっぱなし、座りっぱなしの体を動かしたり、トイレにいったりするためのインターバル。
本人はステージにいるままなので、はじめの頃は思う存分、喋りまくっていたのが、近頃は「ハーフタイム・ショー」となって、予定外の曲を歌ったりする。
そのときを、わたしは待っていた。
「はいじゃあ、きりーつ」
と篠原さんが音頭をとり、トイレに行ったりストレッチ代わりにのびをしたり、観客らがざわざわと動き出す。
そのまま、篠原さんはピアノを弾きだして歌いはじめる。
立ったまま皆が手拍子し、盛り上がっているなか、わたしは、さすがに起きて立ち上がっている前の彼の席を、そっと十センチほど、横にずらす。
これでなんとか、首をねじ曲げるまでではなく、一方に傾ける程度ですむようになったのである。
めでたしめでたし、である。
さて満喫したライブ終了直後。
出口のすぐ脇に白い杖をつく男性と、付き添いのさらにやや年上の男性が話をしていたのである。
「僕は初めてライブに来たんですけど、本当に長かったですね」 「みんないつものことみたいに、本人もそういってましたねぇ」
全盲の彼が篠原さんのライブに初めて行くのを、福祉関係の方が付き添ってきたのだろう。
付き添いだから篠原さんのことを全く知らない。 杖の彼も、初めてだからライブのことはわからない。
他の観客は、ぞろぞろともう姿がなくなってゆく。
付き添いさんと杖の彼は、結局答えがわからぬ問答をそこから繰り返しはじめたのである。
だって三時間半ですよ。 本人もでずっぱりで歌いっぱなし、話しっぱなしで……たしかに滅茶苦茶たくさん話してましたけどね。 それにしても、いつものことなんですかね。
付き添いさんが、それまでわたしに背中を向けていたのが、ついと振り向いたのである。
「いつものこと、なんです」
わたしは答える。 あ、そうなんですか、いつものことらしいですよ、と杖の彼にまた振り返る。
十七歳で歌いはじめて十七年って繰り返してたから、今は三十四歳って、あれ、なんかおかしいような、と思ってたんですけど。
戦前派(メジャーレーベル時代からのファン。さらにオールナイト・ニッポンのパーソナリティー時代)にかろうじて引っ掛かっているわたしである。
お教えせねば。
ライブハウスで歌いはじめたのが十七歳で、メジャーデビューしたのは二十云歳ですから。 あ、そういうことだったんですか。
腑に落ちた顔になる。
では、と会釈してわたしは立ち去る。 立ち去りながら、以前の光景を思い出していたのである。
やはり視覚に障害がある方が、いた。 彼はファン関係のコミュニティで知り合った仲間らと、彼らに囲まれ案内されながら会場やライブ後に皆で食事に行ったりしていたような気がする。
まだ、篠原さんを聴いているのだろうか。
「やっぱり、身体に音が響いてくるでしょう。いいですよね」
付き添いさんが、彼にいう。
そうですね、いいですね。
わたしは聴覚ですべての情報を判断しなければならないような感覚は、味わったことが、ない。
自分が、勝手が全てわかる場所にいるわけではない。
初めての場所で、初めての経験で。
彼の強さを、感じてしまった。
見えないのが当たり前の日々のなか、その何気ない一歩を踏み出すことさえ、怖い。
慣れるしか仕方がない。 そうやって、やってゆくしかない。
わたしは、それじゃあ、と彼らより先に立ち去った。
付き添いさんがいるとはいえ、杖の彼が、そうやって一歩一歩、踏みしめながら歩いて行く姿を、見送る自分の強さなど持ち合わせていないのを、この身に味わいたくなかったのかもしれない。
職業柄、ハートビル法だ、ひとまち条例だ、と福祉の感覚が要とされているが、わたしはまるっきり、薄っぺらい。
賑わう夜の渋谷に、わたしのぺたんぺたんという足音が、すぐさま飲み込まれかき消され、消え去ってしまう。
誰にも聞こえない。 しかし、たしかにわたしは歩いている。 歩いていくしかないのである。
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