「隙 間」

2010年10月31日(日) 「しずかな日々」

椰月美智子著「しずかな日々」

野間児童文芸賞、坪田譲治文学賞を受賞した作品である。

児童文芸賞、といって甘くみてはならない。

この作品は、読んでみてもらいたい、読んで損はない作品、である。

母子家庭だった枝田光輝少年、エダイチの、小学五年生の夏休みのひとときの物語である。

母子家庭ということで、内気で、友達もなく、ひとりでずっといたエダイチは、クラス替えで押野少年、オッシーと友達になる。

快活でユニークでクラスの人気者タイプのオッシーも母子家庭だった。

放課後にオッシーに連れていかれた近所の空き地。

学区が違う子どもたちが、約束するでもなく集まり、草野球や、ただふざけあったりおしゃべりして過ごす場所で、そこで六年生の「ヤマ」や「じゃらし」らとも友達になってゆく。

はじめて「友達」と過ごす楽しい学校生活に、危機が訪れるのである。

母親が勤めていた会社を辞めて、自分で店を開くというのである。
そのために、「引っ越す」と。

仕方がない。
だから。

明日からオッシーともあまり話さなくしよう。
空き地にも行くのはよそう。
だけど引っ越しのことはオッシーには言わなきゃいけない。
だけど、言えない。

担任の先生に、

「引っ越し、したくないんでしょう?」

そう図星にされたとき、ボロボロと、はじめて涙がこぼれてきて、先生にぎゅっとされた胸のなかで、子どもみたいに声を出して泣いた。

引っ越ししなくてすむ方法が、あるの。

母親が、ためらいながら、教える。

じつはあなたには、おじいちゃんがいるの。

世界でふたりきりだと思っていたのに、おじいちゃんが、いる。

おじいちゃんの家からなら、引っ越ししないで、転校しないでいられる。

そうしてエダイチは、おじいちゃんの家から学校に通うことになる。

母親と離れて、おじいちゃんとの二人暮し。

そのひと夏の、思い出。

人生のターニング・ポイントはどこですか、と訊かれたら、間違いなくこのときの夏休みだと答える。

そんな重要な夏休みだというのに、大したドラマチックな出来事など起こさずに、物語は進むのである。

そして続いてゆき、終わる。

とりわけノスタルジックでもない。
とりたててドラマチックでもない。

エダイチはその夏以降、ずっとおじいちゃんと暮らし続けることになったようである。

母親はたまに会いにくるが、もはや別世界の存在、になってしまったようである。

これは、最後のエダイチ青年、いや中年の、回顧の言葉からである。

絶妙。

なのである。

先に宣言しておくが、わたしは決してマザコンではない。
それを前置きしておくが。

女の子はどうか知らないが、男の子にとって母親は、「自分のもの」という感覚がある。

ここでフロイト云々の心理学的講釈は抜きにしておくが、男性諸君は、可能ならばちと思い出してみて欲しい。

自分がいないところで、母親がひとりの姿で当たり前のようにいるところを見てしまったとき、不安や焦りや苛立ちのようなものを感じたことはなかったか。

たとえば「好きなお菓子を選んできなさい」とスーパーで言われて、喜んでひとりでお菓子売場で一生懸命選んで、得意げな気持ちで母親の元に戻ろうとしたとき。

何もないかのように、野菜や肉や魚を選んだりのぞいていたりするのを見て、当たり前のことなのに、自分をずっと目を離さずにいてくれなかった、と駆け足でゆかずにいられなくなったり。

近所のお母さんらと立ち話に夢中になっている母親に、自分はそれまで遊びに夢中で忘れていたのに、ふと足元に絡み付くようにちょっかいを出してみたり。

勿論、これらは思春期を迎え、自分の世界を広げて行く時期になってゆくと、それどころではなくなる。

逆に子離れしてくれない姿を面倒くさく思ったりしはじめる。

自分の知らない姿は、自分の母親ではない。

離れて暮らしはじめて、久しぶりに母親の姿を偶然見かけてしまったエダイチ少年の反応は、もの凄く、わかる。

母になったならば、必要な時期にはできるだけ、子どもらの傍らにいる存在であって欲しいものである。

では父親とはどうか。

これはまた、別の作品の折りに触れることとしよう。

しかし、既に父親となった、なっている方々から、息子娘にとっての自分がそうでありたいと思っている姿を、お聞かせ願えればありがたい。


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