「マイ・ブラザー」
をギンレイにて。 この作品、「ある愛の風景」という作品のリメイク作品である。
その作品を、わたしは公開された数年前に観ているのである。
どうリメイクされているのか、楽しみであった。
優等生の兄サムと劣等生の弟トミー。 弟が刑務所から出所した数日後、兄はアフガニスタンへの出征が決まっていた。
束の間の家族の団欒。
幼い二人の可愛らしい娘と美人の妻グレイス。 絵に書いたような幸せな家族。
しかし。
サムの乗ったヘリが撃墜され、戦死した、との報せが伝えられる。
悲しみと絶望に暮れる家族。
寂しさを紛らわすように、慰め合うように、次第に距離が近づいてくるトミーとグレイス、そして娘たち。
一方、サムは部下と二人、捕虜として生きていたのである。 しかし、
「生きたくば、部下を殺せ」
と鉄パイプを渡される。
「家族に会いたいだろう?」
軍人として、忠実に、毅然として沈黙、抵抗していたサムも、一度は投げ捨てたその鉄パイプをついに手に取り、振り上げる。
「英雄の帰還!」
そう新聞に取り上げられ、家族のもとに帰ってきたサム。
家族とトミーの打ち解けた姿に、疑念が沸き起こる。
「素直に答えてくれ。俺は許す。妻と寝たんだろう?」
優等生、英雄という姿の自分。
生きて帰ってくるために、部下をこの両手で殴り殺してきた自分。
立派な息子、立派な父、立派な夫、立派な兄。
「溺れそうだ」
サムは、おそらく初めて、グレイスの前でその涙をこぼす。
サム役のトビー・マグワイヤが、好演である。
グレイス役のナタリー・ポートマンも美人で素晴らしい。
が。
なんとも複雑である。
「ある愛の風景」とテーマは変わらない。 ストーリーも同じ。
当然である。
今回、ストーリーを知っていたがために、より、胸にグッとくるものがあった。
ひとつの、いや決まったイメージで人を見ていてはいけない。
親でも子でも伴侶でも。
常にそうであるわけではないのである。
明日、愛する人が死ぬかもしれない。 愛する人のもとに生きて帰るために、いったい何をしてきたか。 信じてる信じたい、愛しているのに、信じられない。
その端々の感情に、敏感に共感してしまうのである。
頑張っている人と、そうとは言わずに一緒に観てもらうとよいかもしれない。
さて。
今週はずたぼろである。
悪循環。
残業の度にリタ嬢に世話になり、それはほぼ毎日のお出ましで、ぎゅうっと激しい抱擁な分、離れると途端にガクンとなるのである。
別れ際がわかりやすい分、モディリアーニ画伯とは違ってありがたいが、なかなか辛いものがある。
陽気で華やかな金髪ムチムチ美女と、楚々と可憐な黒髪美人との違い、とでもいおうか。
「グッバーイ! アイラブユー!」
と手を振り尻を振り、ヒールを鳴らして部屋を出るのと。
「おやすみなさいませ」
とそっと襖を閉めて室から出て行くのと。
例えから、やや脱線し的はずれになっている。 いけない。正さねば。
とにかく、普通に終電まで、または泊まってでも仕事できる、いやせねばならないのだが、そんな周りの皆に合わせて、わたしも勿論やらねばならないのである。
泊まりこそ避け、なんとか休日出勤だけで間に合わせたが、まだまだ本番の締切は先にある。
激しい抱擁の反動は、如実に蓄積されている。
わたしの心は今、谷崎潤一郎を求めはじめているのである。
今日はせっかくの休日であったが、昼からまた落ちてしまい、ようやく夕方からの活動である。
三省堂にゆくも、谷崎さんのお目当ての一冊が、ない。
落胆激しく、これは浮気でやない、そっちがないのがいけないのだ、と呟きながら他店で求める。
他の日まで待つ余裕すらないのには困りものである。 一日を数時間しか使えないのには、もっと困りものである。
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