「隙 間」

2010年09月18日(土) 「犬身」(上)(下)

松浦理英子著「犬身」(上)(下)

「いやぁ、どうしようもない作品を読んじゃったよぉ」と、かつてわたしに話した作品である。

こんなくだらない発想で、という、ある意味誉め言葉のようなものであるか、或いは、期待に応えるものではなかった、という残念さか、ともかく読んでみる価値があるだろうとわたしが思うような感想だったのである。

人間であるよりも、犬となり、犬を愛する飼い主のもとで存分に犬として生きて行くことを望む房恵。

地元のホテル経営する一族の娘でありながら、家族と離れてひとり陶芸家として暮らす玉石梓と愛犬ナツと出会い、ますます「犬化願望」が増す。

バー「天狼」のマスターである朱尾の手によって、遂に房恵は、梓の愛犬・フサとなる。

白黒のブチが混ざった可愛らしい仔犬として、梓の傍で幸せな人生ならぬ「犬生」を果たしたあかつきには房恵の魂を朱尾に渡す、との契約を交わしていた。

愛犬として片時も離れず過ごすうちに、今まで知ることがなかった梓の日常を、過去を悲しみを苦しみを素顔を、目の当たりにさせられる。

玉石家の歪んだ関係。

その犠牲者たる梓に、フサは支えにならんとする。

人間の言葉や感情はわかるが、話せない。
そもそも房恵が「犬化」を望んだのは、

飼い主に、傍にいるだけで愛情を与え与えられ、純粋にそれだけで満たされる暮らし

を求めていた。
つまり、

無償の愛

の姿。

朱尾との魂の契約。

満足な犬生を全うしたあかつきには魂を渡す。

その契約は、無事果たされるのだろうか。

犬に限らず、ペットに癒しを求める人間の姿を逆の立場で描いた物語。



わたしはつい、いや当然、谷崎潤一郎の世界を期待していたのである。
おそらくイ氏も、であろう。

しかし。
どうにも、違う。

本作品は読売文学賞を受賞しているので、評価が高いことは確かである。

勝手にだが、谷崎潤一郎のようなエロチシズムや世界観や味わい深さを求めたら、物足りなさを感じてしまうのである。

ならばペット愛好家の心情を満足させるかといえば、どうにもそうではないような気もする。

ペットならば、傍にいるたけで、面倒臭いことなしに相手と自分の互いの愛を満たすことができる。

余計なことは言わなくていい、しなくていい。
寄り添い、撫でさせ撫でられ、それだけで癒しになればいい。

恋人は別れ、失うことはあっても、それでもペットとは別れない。

つまりは、そういうことである。

行儀が、よすぎる。
獣性がない。
犬よりよっぽど人間のほうが獣である。

ということなのであろうか。

なんだかわたしが、谷崎が読みたくなるために選んだような作品である。


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