「隙 間」

2010年09月11日(土) 踏みおろした薄氷はパリッと割れて、ジワッと溶けた

薄氷を踏む思いで、一歩一歩、足を置いてゆく。

着地地点に向かって。

自分が辿り着きたい場所ではなく、おそらく皆が辿り着けるだろう場所へ。

「なんか、竹さんの言ってることが、しゃあないことなんやなって、思いだしてきたわ」

古墳氏が、一文字に引き締めた口元の端っこを、緩めた。

大声こそ出さないが、なかなか本気で言い合っていたしばらくあと、である。

古墳氏は、BIMによる円滑な設計、さらなる可能性を求めるために呼び寄せた技術者である。

「だから、それじゃあBIMでなんかでやる必要ないですって。二次元CADチームにやってもらってくださいよ」

背もたれにぎしっと背中を投げ出し、残念な人間を見るような目がわたしをとらえる。

専門だから、こだわりたい、そうすべきだ、てのはわかるし、その通りに本来はやるべき。だけどね。

作業効率、もっぱらわたしの場合、いかに手を抜いて楽にすませるか、なのだが、そのわたしの見切りの早さ、あっさりさ、こだわりのなさに、メラメラと炎が立ったらしい。

二次元CADでやるのとまったく同じことを、三次元CADでやってしまいましょう。

簡単に言えば、そういうことである。

まさに、まったくもって、三次元でやる意味がない、と思われるのは無理はない。

しかし、提出図面の見た目と、作業の負担を考え、さらに「限りなく三次元CADで作図すること」という上層部の意向を斜に構えて受け止めると、まあ妥当な手抜きであると思うのである。

間違いなく、三次元CADで書いてることになりますよね? 二次元と同じことを、三次元の長所をまったく無視したやり方でやったとしても。
だから、それじゃあ意味がないってっ。見た目とか、そんなんあとの話でしょうが?

見てすぐわかる見た目をこそ爪楊枝でほじくりたがるのが、実作業をしないものたちである。

見えないですが、ちゃんと情報は入ってるんです。

と言ったところで、

見えないんじゃわからないから、見えるようにしてくれ。

となるのが世の常である。

体裁整えのために、アナログな作業が増えてしまうのは仕方がないのである。

ペーパーレスを唱えても、打合せや確認や訂正や提出で紙がどうしても必要なのと同じである。

出来ることと、それを出来るために必要な時間と労力を効率性とで秤に掛けると、蟻とジャイアント馬場さんをそうするのと同じように明らかに思ったのである。

なぎさくんがたまらず、

「ちょっと、聞いてきましょう」

と慌てて駈けてゆく。
切羽詰まった行き詰まった状態のところに聞きにいったところで、答えは想像がついている。

目指す理想と、
目指す現実は、

今は見た目を同じにするしか出来ないのである。

「次の段階でそれが出来るように、いや、やりましょう。今はまだ、ね?」

だんまりを決め、しばらくのち、納得は出来ないけどねぇ、と古墳氏はベルトにシャツを押し込みながら立ち上がる。

「図面で一枚だけ、二百点満点のを精力注いで書いてあっても、他のが五十点の出来なら。
八十点の図面で全部を書き上げてくれ」

わたしがかつてお国さんに、ようく言われていたことである。

図面を見るひとは、それを見てどう思う?

一枚だけしか出来上がってなくて、他のは全部、書いてる途中ですか?

となってしまう。

「見た目八十点でも、それで全部が揃ってて、二十点分はそれこそ見た目じゃないところで補えるように図面の中でまとめろ」

だけど。

お前ははじめから八十点目指して結果六十点まで引き下げて、俺が引き上げてなんとか七十点くらい、だもんなぁ。
しかも引き上げられるのをわかってて、そうやるんだから、まったく。
百二十点を、はじめから目指してくんねえかな?

ポリポリとこめかみをかきながらわたしを見る。

いやあ、えへへ。
えへへ、じゃねぇっ!

飛んできた(正しくは投げつけられた)消しゴムを、よっとよける。

そんな教えを、かつて受けてきたのである。

目指すは理想の空の彼方。
着地するのは現実の大地。

「インフラやハードも整えず、ソフトだけありゃ何でもできるようになる、と思っているひとらに、夢や理想だけをみせて語るのはもうそろそろ終わりにしましょ。
出来る、と思ったことをやるには、インフラやハードだけじゃなく、設計業務の体制や手法まで、ガッツリ変えようとしないと出来ない、ってことを言わなあかんのです」

でもじゃあ明日から出来る、ってなわけじゃあない。

だから、ね?

古墳氏も、現場(施工)の立場に近いとこでやってきたのと、現状(設計)の立場との加減の違いを、渋々噛み締めてきているようである。

施工は、ひとつひとつをきっちり形にしてゆく。
設計は、現場(施工)がいてくれることを前提に、かたちにまとめてゆく。

だからまだまだ、仕方がない段階ではあるのである。

「つかれたぁ……」

小金井に、ふと漏れてしまった。
どうしたんすか、と心配な顔で近寄ってくる。

なんが?
だって珍しいじゃないですか。
だからなんが?
竹さんが、「疲れた」なんて言うの。

実は、疲れたと言ったつもりはなかったのである。

この時間、定時過ぎると、「帰りたい」とか「腹減った」なら、さんざん聞いてますけど。
ほなら、「帰りてぇ」
あ、言い直した。
なんいうち、ええがやろう。
あ、インチキ高地弁でましたね。
おなごの土佐弁は、きもちよかよぉ。
相当、病んでますね。
応、病んじゅうがじゃ。
……お疲れさまです。
じゃ、帰るとすっかな。
って、帰るんすか?
今、お疲れさま、言うたやろが。そんな言われたら帰らなならんが。

うっわぁ、と笑う小金井を置き去りにしてゆく。

ほんならね、は明日へのおまじない。

明日から、公開である。
しかも、一週間しか、期間がないのである。

期限をきられると、気持ちを掻き立てられるのがひとの性である。

今年最後のよさこいを観に。

「たとえ死んでも、みんなと踊りたいが!」

ギンレイにはかからんやろうし、いってみるがかのう。


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