「隙 間」

2010年09月05日(日) 「シャーロック・ホームズ」と「さくら色 オカンの嫁入り」

「シャーロック・ホームズ」

をギンレイにて。
ロバート・ダウニー・Jr.、ジュード・ロウによる、異色のホームズ作品である。

従来の神経質でインテリなイメージを覆す作品である。

ブラック・ウッド卿が黒魔術によって世界を支配しようと目論む。

それをホームズとワトソンが阻止しようと奔走し、しかしその影には、宿命のライバルとなるモリアーティ教授の姿が。

肉体派、無鉄砲さ全快の新コンビである。

続編、もしくはシリーズ化をにらんでいるようである。

が。

どうにも、馴染めないのである。

イメージを覆すならば、思い切り振り切って然るべき、であり、ホームズ協会への遠慮があるのだろうからやむなしとはいえ、物足りなさ過ぎる。

いっそふたりとも、脳みそなど一切使わない、行き当たりばったりの幸運続きのみで、窮地は肉体による力任せで事件を解決してしまう、くらいでなければならない。

公開後、賛否両論あったことで意見は出されてあるので、それを探してみていただいて、参考にしてもらいたい。

さて。

咲乃月音著「さくら色 オカンの嫁入り」

大竹しのぶ、宮崎あおいによる映画化作品である。

毎朝、わたしは日比谷から有楽町への乗り換え途中に、スバル座の看板ポスターで見かけていたのである。

宮崎さんの

「むっちゃ、きれい」

とのシーンを観たことがあるのだが、あのひとコマだけを観んがために、劇場に行っても構わないと思いそうになるのであった。

その文庫化であり。
ふうん、と手に取る。



ある晩、べろんべろんに酔ったオカンが、若い男を拾って帰ってきた。

「この人と、結婚する」

母子ふたりきりで暮らしてきた娘の月子は、捨て男こと研ちゃんの、リーゼントに赤シャツでヘラヘラニカッな笑顔に、なかなか、当たり前だが馴染めず、認められず、三人の同居ははじまる。

「白無垢、着てもええかな?」

月子に恐る恐るたずねる母の陽子。

「試着には、絶対着いてきてぇな?」

月子はとある事故から、電車に乗って出かけることができないトラウマを抱えていた。

新しい、これからを。

そして。

やがてオカンは、ガンで長くて一年だと知らされる。

「百年一緒におられるほかのひとよりも、たとえ一年しか一緒におられんでも陽子さんがええんです!」

薄々と気付いていた捨て男は、「どうか別れるなんて言わんでくださいっ」と陽子に頼み込む。

そしてさくらの季節。

明後日には花嫁の娘になる月子。

限られた幸せな時間を、今の時間を繋いで、過ごしてゆこう、と月子は思う。



宝島社主催の「第三回日本ラブストーリー大賞」受賞作である。

第一回の「カフーを待ちわびて」に続いてわたしが読んだ二作品目である。

本当に、書籍化だけでなく映画化まで約束しているのを、あらためてこの出版不況のなか感心、そして大きなチャンスを与えてくれていることを思うのである。

来年の第七回の締切に向けて、何か書けるのであれば書いてみたいものである。

規定がやややさしくなり、二百枚からあればよく、それ以外はとくに厳しい規定はない。

ラブストーリーなるものは、なかなか難しいようで簡単なようで、雲を掴むような物語である。

つまり、絶えずひとの目に触れ続けている類いの物語ばかりであるから、それだけ「物差し」が溢れかえっているのである。

テレビドラマの不人気化に、その影響の一端が顕著にみられる。

ありふれた物語を、役者の人気で観せようとするしか効果的な手がなかったり、勿論、若者のテレビ離れという社会現象もある。

若者ではないテレビ世代を掴もうとしても、そういうわけにはゆかない。
その世代は、むしろビデオ(DVD)等の記録媒体で観る方が多く、視聴率という物差しでは計れないのである。

であるから、作り手側は迷走の一途を辿る。

そんな厳しいなかでも、ひとはやはり、物語を求めるのである。

自らブログを発信することも、そのひとつである。

記憶や記録を残したい、伝えたい、というのは、つまりそれが自分の物語なのである。

物書き人口が莫大となっているこの社会に、どれだけのわたしの物語を紡ぎだしてゆけるのか。

それでも、書き続けるしかないのである。

宮崎あおいさんに癒されながら、また筆をとる。


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