| 2010年08月23日(月) |
「有頂天家族」に扇子がとまる |
森見富美彦著「有頂天家族」
うぬう。
「後悔」
である。
実は本作品。
旅に出る前に手に入れておいたものなのである。 旅の先には京都が待っている。 森見作品となれば、猫も杓子も、鴨川木屋町河原町、ポンとちょうっと、狸が笑う、といった具合である。
狸の家族が同族の長争いに、天狗に天狗見習いから天狗本人を骨抜きにさせた半天狗の女人、さらにさらに人間が巻き込み巻き込まれて大騒動を繰り広げる、一大エンターテイメント作品である。
大丸の、と出てくれば、おうあすこの大丸か、とあごを撫で、四条から高倉通りの扇子屋、と出てきて、おややっ、とあごから手が滑り落ちる。
まさかまさか。
指を挟み、携帯の地図を呼び出して、地理を追う。
惜しい。 どうやら三条に向かう辺りに別の扇子屋があるらしい。
これを読んでから京都を訪ねる予定だったのが、うっかり鞄に入れたまま、桂浜も室戸岬も、ただうろついたに終わってしまったのである。
予定通りであったならば、竹林亭にて大虎に化け、がおう、とひと吠えしていたのは、もしやわたしであったかもしれない。
狸はなかなか愛しいものである。
「阿呆の血のしからしむるところだ」
名言である。
まさに有頂天。
狸鍋にならずにすんだ家族の、まさにささやかな栄光があらんことを。
そして、食べちゃいたいくらいに好き、と言ってはばからぬ弁天の、小悪魔(天狗?)っぷりにカンパイ。
である。
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