| 2010年08月08日(日) |
特別阿房列車・番外編〜前夜 |
さて、もうじきわたしの阿房列車の旅がはじまるところである。。
列車による移動が皆無であるので、「番外編」とさせてもらっているが、ではいったいどこへなにでいくつもりなのか。
行く先は、まずは南国・土佐である。
例年、半年前から手配せねばならないのである。それに更に「龍馬伝」なるブームが重なってしまっているのである。
高知市内の宿は、もはや無理である。
たかが二十日前からなぞと、なめているにもほどがある。 しかしなんとか別の某町に宿をとり、高速バスなるものにて交通も確保したのである。
ゆえに、「阿房列車・番外編」なのである。
しかししかし、敬愛する内田百ケン先生の「阿房列車」を、なるべくなぞらうつもりなのである。
はじまりは勿論、東京駅は丸の内である。
百ケン先生ならば、列車の発車時刻までに時間が余っていれば、ステーションホテルの食堂にゆき、アルコールを摂取するところである。
そこで給仕の顔つきがイタチのようだの、騒がしく食事している客が料理の注文がなっていないだの、さんざん好き放題のたまったりするのである。
さすがにわたしはステーションホテルのレストランでちょいと一杯、なぞできるはずもなく。
丸ビルの某珈琲屋にて冷やし珈琲をすすって時間を待つのみ、である。
そして百ケン先生が、早く食堂車に行って一杯の続きをしたいがために、そわそわして落ち着かないのと同じように。
わたしは晩ご飯用に買った駅弁を、いつどのタイミングでバスの車内で食おうか、そわそわして落ち着かなかったのである。
バスの隣席は、見知らぬ若者である。
品川を通過した辺りから食堂車に先生が移るのと同じように、わたしもそのタイミングを思案してみたのである。
止まったり、グイと曲がって大きく揺れることがないよう、高速道路にのってからがよかろう。 いやそれなら、首都高を抜けてからがよかろう。
車内の消灯時間も、ある。
暗くなったところで、さあ寝ようとまぶたを閉じたそばから、うまそうな匂いがぷうんと漂ってくること、腹立たしいことこの上ないめいわくである。
それよりなにより、暗くなってしまっては、おかずを箸でつまむのがおぼつかないことはなはだしいのである。
よし今だ、と弁当の包装を解き、パクパクといただく。
隣の若者は、やっとこのひとの、そわそわの原因がわかったと、携帯音楽のイヤホンをしっかり耳に入れ直し、膝掛けを肩までたくし上げる。
パクパク、もぐもぐ。 シャクシャク、ぐびぐび。 お茶と「東京弁当」なるもののおかずらが、リズムよくメロディを奏でてゆく。
百ケン先生ならばむつかしい顔の眉をさらに歪ませて、ふん、といわれるかもしれない。
この「東京弁当」。
浅草今半の牛肉タケノコ、、人形町魚久の鮭の粕漬け、築地すし玉青木の玉子焼き、日本橋大増の野菜の旨煮など、老舗の味が楽しめるのである。
本人の意思とはべつにグルメで通っている百ケン先生も、ふむ、くらいは頷いてくれるであろう。
箸を閉じ、弁当ガラを袋の口を固結びにし、ポンと腹鼓を打ってみる。
隣の若者は微動だにせず、どうやらすっかり、眠りの国の住人になってしまっているようである。
時間はまだ十時を回ってはいないのだが、閉鎖的かつ特異な制限された空間に閉じ込められていては、それもやむを得ないのであろう。
二時間おきを目処に休憩に停まる、とのことであった。
ふむ。ならば鳴門大橋の辺りで朝方になり、ひょっとすると大渦のひとつやふたつ、見られるかもしれない。
いや、いつでも大渦が口を開けて待ってくれているわけではないことくらい、承知している。 それではまるで、うたた寝でポカンとよだれを垂らして大口を開けている、殿間抜作ではないか。
しかし、万が一の殿間様のおいでに、期待をしてもよかろう。
わあぁぁぁ!
激しく、賛同の大歓声、拍手喝采が、辺りを包み込む。
いや。 違った。
大雨が車体を殴り付けていたのである。
天気図をみたとき、土佐のところのみが、雨天の記号であった。 それが早くもこちらにやってきたのかと思ったのである。
しかしどうやらそれとは違う雲によるもののようで、叩きつけては、知らぬふりをし、また叩きつけては、を忙しく繰り返すのである。
働き者である。 どうせ降るなら、このような雨に限る。 しとしと穏やかな慈雨もよいが、泣いたと思えば怒り、怒ったと思えば笑ってる、そのような快活さもまた心地よいことがあるのである。
隣の若者は毛布を首まで引き上げたまま、身体を右に転がし左に転がり、まるでイモムシのようである。 かと思えば、携帯電話か音楽か、ポッと青白い明かりを点灯させ、いやいやホタルに孵ったか、と思いあらためさせる。
風情ある、とはとてもいえぬのだが、かといって目障りな、というまではいかない。
節度をわきまえた若者であった。
しかしイモムシの頭がわたしのほうに傾き、しかし紙一重でわたしには触れずにバランスを保つという離れ業を、彼は何度もわたしに披露してくれるのである。
それは一度気にしだしたら、いてもたってもいられなくなってしまうものである。
しかし、立つことはできない。じっといることしか、できないのである。
やむを得ないので、ひたすら気にしないよう気にして、じっと目をつむる。
そして、ハッと目を開ける。
とっくに夜が明け、讃岐の国に入っていたのである。
まったく、とんだアホウである。
かくして「特別阿房列車・番外編」は、夜明けよりはるかに遅れること甚だしく、幕を開けたのである。
|