竹くん、ちょっといいかな?
助さんがわたしの右肩の上から話し掛けてくる。
うおっと、と左肩に自分の頭をのけぞらせて、斜めに首を捻りながら助さんになおり、大丈夫ですよ、と答える。
ふうん、と画面を眺めていた助さんは、わたしがデータの上書き保存の「はい」ボタンをクリックすると顔を上げ、その隙にわたしは椅子を押して立ち上がる。
小柄で愛敬のある助さんはアライグマのようだが、その実、我が社の代表である。
ちょこちょことその後ろをついて行くと、我が社の面々が集う、同じ階の反対側のエリアに入って行き、
「ちょっといいですか」
と火田さんにも声をかける。 主婦にして部門長を務める、いわばわたしの上司でもあるお方だ。
いいですよ、と、これは待ち構えていたかのようにすっくと席を立ち、助さんに次いで会議室に入って行く。
「まま、どうぞどうぞ」
丁重に、ドアの前で立ったままのわたしに座るように手招く。
そうして、後ろ手にドアを閉めようとドアノブを腰の後ろをあたりをまさぐっていると、
「すいません」
と、大分県が割り込んできた。
おうっと。 ども。
市川海老蔵のような力ある目で、わたしを見る。
さあさあ、と助さんはわたしたちに椅子を勧めている。
なんだ、いったいなんのはなしだ。
「わっはっはっ」
ようこそ、こちらへ!
助さん火田さんの前で、バシバシと大分県の背中をはたきまくる。
体面と内情と、建前と本音がとうにかけ離れてしまい、それでもなんとかせねばらないわたしの関わっている業務に、新たに大分県が、出向というかたちで加わることになった。
本来のスペシャリストが加わることになっていた話に、さらに大分県が加わることになった、という話ではないらしい。
「彼」の他にもう一人、という話じゃあ、ないんですね?
わたしは笑顔で、助さんに確認を求める。
いやぁ、彼だけ、です。
洗っている最中にリンゴを川に落として、どうしていいのかわからなくなったようなアライグマの表情に、助さんの顔が変わっている。
あっはっはっ、となんでもないように笑い飛ばしているわたしは、その実、かなり頭の中はフル回転していたりする。
話が違う。 誰の、どこまで、どんな風に、この話は伝わっているのだろうか。 そして納得されているのだろうか。
委細はつかめない。だからこそわたしは、おおよそ悪い事態のほうを思い浮かべておく。
「あっはっはっ。よろしくっ」
がっしと、改めて大分県の肩を叩く。
悪い事態のときは、無駄に足掻いても仕方がない。なるようにしかならない。
「ソフトの講習もすぐに受けられるよう手配するから」
助さんと火田さんのチャンスを掴むために意欲的な声の影に、そっと慰めをこめる。
「ま、頑張ろう」
そんな、まあ、やりますけどぉ。 涅槃のようにせめて微笑むわたしに、大分県は渋々頷く。
「ひどいよっ!」
私の周りの人を、一人ずつ奪ってゆくなんてっ……。 バカバカバカぁっ。
馬場さんに、訴えられたのである。
かつては馬場さんの左にわたし、右に大分県、という席の配置だったのである。 大分県は馬場さんの仕事も手伝いつつ、自身の仕事もやってきていた。 それのしわ寄せが、自然彼女にきてしまうのであった。
彼女は幼い一児の娘を持つ母である。先日、三歳の誕生日を迎えたらしい。 従って、残業はできない前提で勤務しているのである。
さぞ、仕事が不安であろう。
「誰が私のボケにツッコンでくれるのっ?」
……。 わたしがいたときは、彼女こそツッコミだったはずである。 役割は変わる、ということであろうか。
いや、そんなことではない。 しかし、
「リョウくんがいるじゃない」
リョウくんはだって、冷ややかに笑って、流して。
「五回に一回くらい、ボソッとツッコンでくれるでしょう?」 「そうだけどぉ」
仕事の不安を、どうやらこのことで誤魔化そうとしているのは、わかる。
そこに、大分県が合流した。
「もうっ、上がなにがしたいのかわかんなくなってきましたよっ」
わかってはいるのである。 だからこそ、大分県は苛立ちを隠せないのである。
そうだよ、もうっ。
馬場さんも、同じくこぼす。 えぇいと、まあ、自分らの責任じゃあないんだから、ダメなときはパッと手ぇあげてさぁ。 わたしの重さもない慰めが、ふたりの襟足を駈け登ろうとするも、つるんと足を滑らせ、いつまでもふたりの耳にはとどかず、肩の辺りで円陣を組んだり、助走をつけようと引っ張り合ったりしている。
「ところで」
馬場さんの肩が揺れた。 うぎゃぁぁぁ、と一匹が悲鳴をあげて肩から落ちて行く。
「そろそろ私、トイレにいってもいい?」
あっけない幕切れである。
否応はずもない。 どうぞどうぞと、大分県と頷き合う。
かくして、盆休み前にひと騒動。それは休み明けに本騒動となるのだが、ここでは一旦、なりをひそめることになったのである。
とりあえず、休みはすべて忘れて過ごすつもりである。
あともうひとふんばり。
しかし頭はすでにお休み三日目あたりに差し掛かっているのである。
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