「隙 間」

2010年07月19日(月) シャガールとにらめっこ

いつかの帰り道。

暗澹たる上野の森を、プチプチと携帯を点灯させながらよよよと通っていたのである。

今はとっくに閉鎖された昔の駅の建物の前を過ぎ、しばらく進んだところで、

ギョッと

足が止まったのである。
赤く白い牛らしきものが、わたしを睨んで、いる。

ややや。

それが、今日のはじまりである。

今月から十月の初旬あたりまで東京芸術大学大学美術館にて「シャガール」展が催されているのである。

「シャガール」なぞ、そもそも絵画や芸術なぞ、わたしはとんと造詣が浅く、いやほとんどない。

せいぜいが、甘木贋作師漫画か、橘いずみもとい榊いずみ歌う「リフレッシュ・ホリデー」にて「シャガール」の名を聞いたくらいであった。

夜道ではたと赤い白牛と、ここで会ったが百年目。

マタドールよろしく、ひらりとマントをはためかし、いざ。

絵画鑑賞なぞ、まともなのをさくっと思い返してみると、大学の頃に横浜にルーブル展をレポート作成のために行ったか、その前は東京ディズニーランドのキャスト・プレビューだかなんだったかで、ワールドバザール上階ギャラリーでディズニー絵画を眺めたくらいである。

いや他にもたしかにあったはずだが、すぐには引き出しが開かない。

そもそも、美術館だ博物館だに行ったとて、展示物なぞ二の次であり、第一の目的は建物自体であることのほうがほとんどなのである。

よって。

絵画の見方なぞ、わからない。
百ケン先生曰くならば、

さもわかったようなかおでふむふむだとか、眉間に皺寄せて講釈を噛み潰してみせたりなぞ、まことに愚の骨の先である。
わからぬものはわからぬのだから、ぽかんとしばらく立ち尽くし、飽きたら次へ移るか、手洗いにゆくついでに喫茶で酒と甘いものをつまんで消費したものを補うことこそが、自然である。
見ていたくないものに見られている絵のほうだって、迷惑な話である。

といったところであろうか。

しかしわたしは、ぐるりときちんと、感性と本能がおもむくままに、ひとつひとつの前を見て回ったのである。

ふむふむ。

竹下元首相の孫であるDAIGOが解説してるらしいガイドマイクを借りていたら、さらに楽しめたかもしれない。

こじんまりとしており、さらっと回れる。

しかし、展示物はかのポンピドゥー・センターのものをごそっと運んできたらしく、なかなかのものである、はずである。

次にわたしがみたいのは、ほ乳類展の第二段である海の仲間たちである。

こちらは子連れ親子連れ家族連れでひっきりなしであろうから、ひとりでのぞきに行ったところで、知的芸術家的孤高の様子に相応しくないので、なかなか行きづらいところなのである。

そうして、実は前回の陸の仲間たちを行きそびれたのである。

なんてこと、しやがーる。
である。
まこと、以後は気を付けようと思うのである。


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