「隙 間」

2010年06月27日(日) 「New York,I love you」と入浴

「ニューヨーク アイラブユー」

をギンレイにて。

豪華俳優陣と監督陣が、ニューヨークを舞台にそこに暮らす人々の愛や夢、出会いや別れを描いてゆく。

自称、第二の故郷をニューヨークと感じたわたしにとって、なかなか洒落た仕上がりの作品である。

感じるのは自由である。

オーランド・ブルームのシーンでは岩井俊二が監督をしているのだが、背後のテレビには、宮崎駿監督のゲド戦記の場面が映っていることは有名な話である。

ニューヨークで暮らすひとはアメリカ人ばかりが多いわけではない。
だから、この街が好きよ。

東京も、同じである。

さて、ニューヨークではなくトーキョー、ヤーナーカーのわたしにキャメラは切り替わる。

目が、朝早くにさめてしまったのである。

土曜だというのに、時計は七時のあたりを指していた。

ガス屋が来るのは十一時。

まるで遠足の子どものようである。

ここで二度寝すると、ガス屋が来たとき留守と思われ、大家にガチャリと開けられて入ってこられてしまいかねない。

それは避けたい。

とりあえず、ダイニングの見苦しいものをベッドルームに運び込み、シンクの洗い物を棚に押し込む。

押し込むというと大量の食器が揃えられているように思われるが、そんなことは、まったく、ない。

さてようやく時間になり、ガス屋がやってきたのである。

「一、二時間ほどで終わらせますから」

どうぞよろしく、と招き入れ、その勢いのまままっすぐベランダに通す。

来訪を拒んだのではない。

ベランダに、給湯器があるのだ。

さてガチャガチャと工事に取りかかりだしたガス屋の兄さんをよそに、すぐ隣の部屋で賑やかしく愉快そうなテレビの音や笑い声を聞かせるわけにはゆかない。

それは申し訳ない。

なので、テレビ東京の「週刊ニュース新書」などにチャンネルを合わせてみたりする。

廃校を再活用せよ、という特集で、近所の秋葉原の練成中学校舎を再活用しているのを紹介していたのである。

本日がグランドオープンということで、しょっちゅうその前を通っていたわたしは、おや今日からだったのか、と不思議な気持ちになったのである。

「3331Arts Chiyoda」として、カフェやレンタルオフィスや屋上菜園など、地域に解放された新しいかたちの施設利用が試みられているのである。

さてそんなとき、大家が様子見にやって来たのである。

世間話からやがて選挙の話になり、どちらかもう決められているのか、と問われたのである。

ピンときた。

ということは、これは公明党へのお誘いの話しかないのである。

わたしにそれは、いけない。
宗教の勧誘にくるのと、同じである。

そこで、始まったのである。

大家の気分を害さぬよう、滔々と、政治と報道と劇場と大衆と、理念と現実とを語って、包みくらましたのである。

疑うことを感じさせず、それをひとに勧めるようなものは、わたしは受け付けない。

頑張っているのは、当たり前である。

政治は、理想と現実の両方が正しいことを、踏まえた上で成り立つのである。

力の伴わない理想は、この現在にはとてもおぼつかない。

のである。

やがて話が迷走しだし、大家が千葉県は潮来の生まれだという話になったのである。

となれば、かつてわたしが銚子の向かいの茨城県は波崎町に毎月仕事で通っていたことや、名古屋の友の祖父が小見川で絵を描いていて花火大会に招いてもらったことの話になったのである。

さらに、大家の親類は我が故郷、船橋のお隣、習志野にいて、津田沼の南口からバスや車で五分くらいだ、とのことを知る。

なんということだろう。

「あのう、僕も千葉県なんですよ」

ガス屋の兄さんが、南柏なんですけどね、と加わる。

まさかの、にわか千葉県人会が、ここ谷中にできてしまったのである。

じゃ、もうお湯が使えますんで。

直ちに、ニューヨーク、である。
いや、入浴。

ヤーナーカーのわたしはニューヨーカーとなり。
つまり、東京で入湯。
千葉県民がここで住民。
おそれ入谷の鬼子母神。
チェケラ、ゲバラ。

と相成ったのである。

東京の街を眺めていると。
まさに人の数だけ、灯りの数だけ、物語がある。


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