おいおい。 それはとんでもないことに、なってるじゃあないか。
先日、とうとうこの湿気と暑さに煙をふいた我が給湯器だが、故障したところをちょちょいと修理・交換すりゃあすむだろうと、俺が仕事で不在時に大家立ち会いのもと、今日中に済ましてくれるだろうはずだった。
しかし、連絡がひとっつも来やあしない。
あれよあれよと仕事に追われ、やっとオフィスをでて大家に確認の電話をしてみたのが、すっかり日も落ちた夜の時分だった。
「今日はやらずに、明日、全部交換してもらうことにしたんですよ」
八十はとうに超している老女の、大家の声はたしかに、そう言った。
ちょっと待て。 「全部交換してもらう」だって?
角を落としたやんわりした口調で問い返した。
「全部というのは、室外機まるごと、てことですか?」
そうなんですよ。新品ですから、何年経っても大丈夫、ということなので、どうぞ安心してください。
「そりゃあ、大安心ですねぇ」
あっはっはっ、て、ちょっと待て。 修理に来てそれじゃあと確かめたわけでもなく、いきなり、全交換?
住み主の俺に、ことわりも、たしかめも、なく?
「工事業者の手配がかかるからって、ふつうは四、五日かかるのを明日にしてもらったんですよ。 見積もみせてもらわないうちに、今、それと工事時間のファックスを待ってるんですけどね? どうしたのか、まだずっと来ないんですよ」
ファック! なんてざまだ! 俺には考えられない!
大家の建物とはいえ、俺の部屋(家)だ。 工事となりゃ、どやどやと工事のあんちゃんらが出入りすることになる。 なんせ、室外機は玄関からダイニングを抜けたベランダに、あるんだからな。
庭の裏手に、てなわけじゃあない。
ますます俺がいなくちゃあ、ならないじゃないか。 しかも、何時から何時までかもわからず、待ってなきゃあならない。
ジーザス! キス・マイ・アス! くたばってひっくり返ってるわけにもゆかない。
「お風呂に二日間も入れないのは申し訳ないから、よろしければどうぞ、うちのお風呂に入りにいらしてください」
大家はすぐ上の階にすんでいる。 「それじゃあ」とお言葉に甘えるわけにもゆかない。 帰って、眠気のトンネルを抜けてから、となると、いったい何時にお邪魔することになると思ってけつかる。
おっと。 ダンデ・タイガーらしからぬ言葉遣いが端々に……。 これは失敬。
「まだ勤め先からなので、遅くにお邪魔するのもなんですので」
丁寧に、丁重に、気持ちだけを頂いてお断りを入れる。
ちっ。 そろそろ、面倒くさい時間帯になってきやがった。
まぶたが乾き、重たくぼんやりとしはじめる。
「どうもすみません。では明日、業者から連絡がきたらそれを私にもお教えください」
つぶったまぶたの裏に、そう答える。
家賃で安穏と、古くから暮らしてきてるひとは、やはり違うものだな。 谷根千の下町の、善意と余裕と思い切りからなのだろうが、「少々」辟易してしまった。
さて、世間のいかなる寒風よりもなお優しい行水と、ようやくおさらばだ。
おっと。 大家から連絡が入った。
なになに? 明日の昼前に業者が来て、まあ一時間くらいじゃないかしら、だって?
テーブルに置きっぱなしの腕時計で今の時間を見ると、もう十時じゃあないか。
うつらうつらと文庫を片手に、すっかり時を過ごしてしまった。
「では明日、私はおりますのでよろしくお願いします」
どうもお手数おかけします、おやすみなさい、と通話を終了する。
今から帰ってじゃあ、銭湯はもう閉湯してしまう。
今日び入湯料は、条例かなんかで定まってる四百円ちょい、俺の昼飯代よりも値が高い。
のんびりゆったりじっくり、元をとれやしない。
濡れタオルでちょちょいと拭う程度でやり過ごして、今夜は乗り切ろう。
ハードボイルドならいざしらず、ハードコールドはどうか勘弁ねがいたい。
なあに。 仕事で徹夜の泊まり込みのときなんざ、風呂もシャワーも、歯磨きさえもする余裕なく過ごしたときだって、そこらを歩いてる連中よかあよっぽど経験してきてる俺だ。
そう思えば、たかが、程度。 問題はない。
しかし、こんなときに限って、涼しい夜でいやがる。 冷水がことさら厳しい。
ちっ。 まあた、面倒くさくなってきやがった。
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