「隙 間」

2010年06月25日(金) ハーフ・ボイルド

おいおい。
それはとんでもないことに、なってるじゃあないか。

先日、とうとうこの湿気と暑さに煙をふいた我が給湯器だが、故障したところをちょちょいと修理・交換すりゃあすむだろうと、俺が仕事で不在時に大家立ち会いのもと、今日中に済ましてくれるだろうはずだった。

しかし、連絡がひとっつも来やあしない。

あれよあれよと仕事に追われ、やっとオフィスをでて大家に確認の電話をしてみたのが、すっかり日も落ちた夜の時分だった。

「今日はやらずに、明日、全部交換してもらうことにしたんですよ」

八十はとうに超している老女の、大家の声はたしかに、そう言った。

ちょっと待て。
「全部交換してもらう」だって?

角を落としたやんわりした口調で問い返した。

「全部というのは、室外機まるごと、てことですか?」

そうなんですよ。新品ですから、何年経っても大丈夫、ということなので、どうぞ安心してください。

「そりゃあ、大安心ですねぇ」

あっはっはっ、て、ちょっと待て。
修理に来てそれじゃあと確かめたわけでもなく、いきなり、全交換?

住み主の俺に、ことわりも、たしかめも、なく?

「工事業者の手配がかかるからって、ふつうは四、五日かかるのを明日にしてもらったんですよ。
見積もみせてもらわないうちに、今、それと工事時間のファックスを待ってるんですけどね?
どうしたのか、まだずっと来ないんですよ」

ファック!
なんてざまだ!
俺には考えられない!

大家の建物とはいえ、俺の部屋(家)だ。
工事となりゃ、どやどやと工事のあんちゃんらが出入りすることになる。
なんせ、室外機は玄関からダイニングを抜けたベランダに、あるんだからな。

庭の裏手に、てなわけじゃあない。

ますます俺がいなくちゃあ、ならないじゃないか。
しかも、何時から何時までかもわからず、待ってなきゃあならない。

ジーザス!
キス・マイ・アス!
くたばってひっくり返ってるわけにもゆかない。

「お風呂に二日間も入れないのは申し訳ないから、よろしければどうぞ、うちのお風呂に入りにいらしてください」

大家はすぐ上の階にすんでいる。
「それじゃあ」とお言葉に甘えるわけにもゆかない。
帰って、眠気のトンネルを抜けてから、となると、いったい何時にお邪魔することになると思ってけつかる。

おっと。
ダンデ・タイガーらしからぬ言葉遣いが端々に……。
これは失敬。

「まだ勤め先からなので、遅くにお邪魔するのもなんですので」

丁寧に、丁重に、気持ちだけを頂いてお断りを入れる。

ちっ。
そろそろ、面倒くさい時間帯になってきやがった。

まぶたが乾き、重たくぼんやりとしはじめる。

「どうもすみません。では明日、業者から連絡がきたらそれを私にもお教えください」

つぶったまぶたの裏に、そう答える。

家賃で安穏と、古くから暮らしてきてるひとは、やはり違うものだな。
谷根千の下町の、善意と余裕と思い切りからなのだろうが、「少々」辟易してしまった。

さて、世間のいかなる寒風よりもなお優しい行水と、ようやくおさらばだ。

おっと。
大家から連絡が入った。

なになに?
明日の昼前に業者が来て、まあ一時間くらいじゃないかしら、だって?

テーブルに置きっぱなしの腕時計で今の時間を見ると、もう十時じゃあないか。

うつらうつらと文庫を片手に、すっかり時を過ごしてしまった。

「では明日、私はおりますのでよろしくお願いします」

どうもお手数おかけします、おやすみなさい、と通話を終了する。

今から帰ってじゃあ、銭湯はもう閉湯してしまう。

今日び入湯料は、条例かなんかで定まってる四百円ちょい、俺の昼飯代よりも値が高い。

のんびりゆったりじっくり、元をとれやしない。

濡れタオルでちょちょいと拭う程度でやり過ごして、今夜は乗り切ろう。

ハードボイルドならいざしらず、ハードコールドはどうか勘弁ねがいたい。

なあに。
仕事で徹夜の泊まり込みのときなんざ、風呂もシャワーも、歯磨きさえもする余裕なく過ごしたときだって、そこらを歩いてる連中よかあよっぽど経験してきてる俺だ。

そう思えば、たかが、程度。
問題はない。

しかし、こんなときに限って、涼しい夜でいやがる。
冷水がことさら厳しい。

ちっ。
まあた、面倒くさくなってきやがった。


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