青山七恵著「街の灯」
文藝賞を受賞したデビュー作である。 こののち、「ひとり日和」にて著者は芥川賞を受賞することになる。
さて本作である。
表題作と書き下ろした一編が収められているが、なるほど、新人賞の類いである文藝賞作なだけあって、未熟さの味がある。
ここから、やがて熟してゆくのである。 熟してゆくということは、熟すための実があるということである。
大学を辞めて行く先も金もなくなりかけたまりもは、ミカド姉さんの喫茶店で住み込みで働き始める。 ミカド姉さんは、まりもの恩人であり、店長であり、憧れであり、嫉妬の対象でもある。
姉さんはきっと、美人で、寛容で、大人で、セックスがちょっぴり上手くて。
常連客やそうでない男たちと、店の上のまりもの隣の部屋に、連れ込んで、だけど姉さんは誰のものでもなくて。
そんな姉さんが、「先生」にだけは、違った。
夜中に、街に灯るあちこちの窓の灯をじっと観察しに、散歩をはじめる。
ヨガのポーズに集中している主婦、窓辺でひとり煙草をふかし電話にふける若い女。
しかし。
灯りのついていない窓のむこうにも、目を凝らせばまりものように灯りのついた窓を見つめている人間は、いる。
つまり、そういうこと、なのである。
だから、そこから、なのである。
そこから、を。
読み手にどうぞご自由に、というのは、じつは嘘である。
ご自由に、とは、作者が道筋をつけた広い道路を、歩行者天国を、ゆるりとどうぞ、という意味なのである。
そこは、スケートボード厳禁なのか、たけのこ可なのか、コンサート可なのか、出店はお好み焼きと焼きそばとあんず飴は可だが他は不可なのかを、作者は暗に提示しているのである。
ツイストではなくいきなりパラパラを踊りだされては、直角に持ち上げた膝の下ろしどころに困ってしまう。
あるていどの約束事は、あらかじめ蒔いておくべきなのである。
きっとこうなるだろう、といった振り幅があり、それを敢えて超えて想像してもらうのは別であり、道しるべはあるべきなのである。
これはわたしも、自戒しなければならない。
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