桜庭一樹著「私の男」
直木賞作品である。 この作品を読んでいると、猫や犬にペロペロと舐められているような感じになる。
熱く、冷たく、ザラリとしていて、そのくせ。
愛情を伝えんと健気なまでに。
無邪気で、真摯で。
井上荒野のような、ゆるやかな「秘密」が横たわる世界よりも静かで、激しい「秘密」の世界であり、金原ひとみのような、究極に振り切れた非道徳的な「本能」の世界よりも穏やかで、揺るぎない「本能」の世界。
小川洋子のような鋭く「閉ざされた」世界よりも濃く、緊密に「閉ざされた」世界であり、「余白」に満たされた世界。
かもしれない。
物語を簡単に説明すると。
十六歳しか違わない養父と養女の、しかし実は実の父と実の娘の、互いの孤独と存在を繋ぎとめてある「愛」のかたちの物語である。
「余白」こそが曲者で、たちが悪い。
「余白」に引き込まれ、囚われ、終わりまで「余白」に包み込まれたままにされてしまうのである。
それが、現在から過去へと物語が語られてゆくなかで、である。
放置されるのではない。 むしろ、主人公たちのように、ピタリと肌を寄せ合うように、している。
余白を余白で埋め合うのが夫婦であるかのように。 余白なのだから、そこに、何か分かり易いものがあるわけではない。
余白できちんと埋められているのに、それでも気付かず、何かで埋めようとする。
埋まらないものを埋めようとする妄執のような熱い感情。
しかしそれは、決して表面に表れず、熱は内にこもり、うねる。
あくまでも、表面は冷ややかに。
直木賞受賞作として、なかなか、納得させられる作品である。
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