「隙 間」

2010年05月20日(木) 大森でタンゴ踊る

今宵、大森である。

田丸さんが、すっかり健康的な色の笑顔で、迎えてくれた。

旅行にでも、行ってきましたか。
いえ、なんかよく言われるんですけど、そんなことないんですよ。

そんな風に、見えますか?

とてもいい、気持ちがよくなる顔をしてますよ、と。

だけど私、ダンスやってるんですよ、と打ち明け話をはじめる。

可憐な人差し指に、白い淡雪のようなガーゼが巻いてあった。

突き指か捻挫ですか。
突き指、です。

パートナーの手に、思いきり突いちゃって。

わたしなら、そのまま包んであげよう。
などとは勿論、いうわけがない。

タンゴとかも、踊ったりしますか。

聞いてみたそばから、わたしの頭の中では歌が流れはじめている。

ザ、タンゴ
モーリーン

やっぱり、バックのステップは難しいですか。

アルゼンチンとかもありますけど、どっちでしょう。

プーキー。
スプーキー。

ああ、「RENT」てミュージカルのワンシーンなので、アルゼンチンじゃあ、ないです。たぶん。
「RENT」っていうんですか。
そう。もう、パブロフの犬で、曲が流れ出しただけで、ぶわぁっと感動の涙が、溢れ出そうになります。

「RENT」ですね? 今度できたら観てみます!

サンクス。
ジョナサン・ラーソン。

いっそ次回、わたしがDVDを持ってきて、田丸さんに預けて帰ろうか。

さて。
本命である。

「やあやあ、今晩は」

イ氏が、二の句をつぐ。

書いたかい?
はい。書いてみました。
神保町のヤツ? あれかい?
いえ。直前にちゃぶ台を返されました。
へええ。
それで、持ってきてみたりしてまして。
ほう。みせてよ。

これにて御座います。

どれどれ、のひと言を発してから、イ氏は以後、無言で真剣な眼差しで読み続ける。

わたしは膝に両手を握り締めて、息を詰めてじっと待つ。

五分だろうか。
いや十分くらいかもしれない。
いや、もっと。

「ちゃんと、きれいな日本語になってるじゃない」

ウッホ。わたしは類人猿だったでしょうか?
いやいや、ずいぶん、綺麗に書くようになってるよ。

嬉しいお言葉である。

「はじめの書き出しが、なかなかいいよ」

書き出しの三行で、読んでもらえるか否かが決まるのである。

初っ端から悲劇にら引っ張り込むか、迷ったところである。
あくまでも、勘違いではじまり、夢と現実と願望と記憶が織り混ざったかたちにしようとしたのであった。

イ氏は概ね「良」の判を出してくれたようである。

でも、ひとつだけいうならば。

その「ひとつ」をいただきたいのである。
ひとつにくっついて、ほかにもポロポロとこぼしてくれることが、ある。

ここが病室なのか自宅なのかとか、麻痺の段階はどうなのかとか、僕の立場的に、気になっちゃうね。

ごもっとも。

しかし、そのあたりの具体的な事項は割愛した結果、なのである。

「あ」

誰か来ちゃってる、と待合室の様子をモニターで見咎める。

じゃあ、とようやく切り上げると、時計はかなり進んでしまっていた。

「次も、書いたら持ってきなさいな」

できれば夏のあたりで、とペコリと下げ、室を辞退する。

イ氏は職業柄、誉め上手、なところなのだろうが、わたしも一旦は、素直によい気持ちにならせていただいてもよいだろう。

またすぐ、次の別物に取りかかるのであるから。

ホクホクと、ヒンヤリと、電車の揺れが混ぜ合わせてゆく。

さあ、次作へ。


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