「隙 間」

2010年05月09日(日) 「世紀末の隣人」

重松清著「世紀末の隣人」

十年前。二〇〇〇年に重松清が連載した十二のルポルタージュである。
池袋無差別殺人、酒鬼薔薇未成年殺人、新潟少女監禁、カレー毒物混入殺人などから、またはニュータウンの夢と現実、日産の再建、AIBOなど、まさに「世紀末」の物事を追いかけ、またなぞり、「読み物作家・重松清」が、語る。

「わからない」ことを「わかる」ように、ではなく。
「わからない」ことを「わかる」ための手掛かりを。

重松清は、常にこの距離感を心掛けている。

明確な答えや主張を、おいそれと押し付けない。

どう思うか。
どう感じるか。

導いてきた答えの手前で、スッと手をひいてしまう。

その答えは誰かに与えてもらうのではない。
最後に自分で手にするのが、答えだ。

手を出さず、それを手にしないという答えも、あり。

右手はそれを、左手は別のを、という答えも、あり。

別の誰かがそれを与えてくれるまでそこでジッと待つのも、あり。

重松清は、ゴーストライターとして数々の本を書き、そしてやがて、自らの作品をもって数々の賞をもらい、重松清という己自身の作家として、不動の位置を築いてきた。

つまり。

誰かになりきる、誰からしく、という立場から物を書く、下積みといえば聞こえはいいが、物書きとしては辛い時代を経てきている。

他の作家でも同じような経歴の持ち主がいるかもしれないが、ゴーストのまま消えていってしまう者がいるなか、ルポライターとして、小説家として、いや、「読み物作家」として、それらを糧としてきている。

「寄り道」「蛇足」を楽しめる。
それこそ大事なものなのかもしれない。

との言葉に、「寄り道」「蛇足」ばかりの人生の真っ只中にいるわたしは、それを誰かに語れるだけの人生とすることができるのだろうか。

語るなどと、偉そうなつもりはない。

ただ。

間違いだった、とは、冗談で口にしてみることはあっても、本心からは決して言うことがない人生であり続けたい。

たとえ誤字脱字だらけだったとしても。


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