「隙 間」

2010年05月05日(水) 物語のはじまり

中川あゆみ

というアーティストが紹介されていた。
六歳で両親が離婚。どちらも育児・親権放棄し、祖父母の養女として引き取られる。
九歳からひとりで駅前でストリートライブをはじめ、十四歳の今、デビューする。

生い立ちを歌詞にしたデビュー曲をギターを抱えて立派に歌いきった。
その歌に、話に、涙を浮かべて聴き入る出演者の姿がある。

捨てられた。
裏切られた。

と紹介され、歌われた両親は、どう受け止めただろうか。

そんな子を生み、育て、孫を養女して受け止め、支えて暮らしてきた祖父母は、どう受け止めたらよいのだろうか。



「ハウスブルー」という、中京テレビ制作のドキュメンタリー。

主婦たちの、誰しもがなりうるウツのことを、追いかけた。

以前からいわれていること。

「働いてる男は、休みや外に出る、という区切りや逃げ場がある。
しかし、主婦の家事・育児に休みはない。
終わりもない。
逃げ場もない」

取材を受け入れたとある主婦は、こういった。

「子どもが、自分でなんでもできるようになってきて、そんなときにふと、
わたしって、なんなんだろう?
って、思う。
必死に追いかけて、いつのまにか子どもが追い抜いて」

入院も薬物治療も、彼女を救いきれない。
回復して帰る場所が、原因の場所なのだから。

中二になる娘に、彼女は頭を撫でられながらいわれていた。

「笑顔だけでいいんだよ。それ以外、何があるの。
無理しないで、ほどほどに頑張って、でも、頑張り過ぎないで」

母が悩み傷つく姿を、娘はずっと見続けてきた。

お母さんが傷つくのは、悲しい。

コクンとうなずきながら、彼女はつぶやくように話していた。

「Rent」映画版を、ついつい、観てしまった。

「ライフ・サポート」の場面。
エイズ患者の青年が、いう。

「診断通りなら、僕は三年前に死んでいる。
だけど気分は楽になった」
「なぜ?」
「New Yorkで暮らしていれば、死や危険とはいつも隣合わせだから」

エンジェルの愛に溢れた笑みで幕を閉じる。

赤札堂の開店直後の朝市セールに、開店前から入口にひとが集まる。
そのなかに、足の悪い旦那さんと共に来た老婦人がいた。

目当ては、ひとりワンパック限りの、たまごMサイズ十個入り九八円、である。

わたしも他聞に漏れず、それが目当てである。

入口前の段差がある。
階段一段分くらい。

「段の上に上がっちゃいなさいな」

人々が前を譲る。
脇によける。

開店時間になり、自動扉が開く。

そうと気づかないひとらが、おかまいなしに、老夫婦を追い抜き、たまごを手に入れてゆく。

神田神社にのぼりが立つ。
神田祭りが、もうはじまる。

真夏日のような気候。

横断歩道を渡っているとき、目の前を小さな、白いものが横切った。
それを追いかけ、晴天を見上げる。

タンポポの綿毛だった。

こうして、わたしのなかで物語がはじまる。

神田川に投げ入れられた檸檬のように、ぷかぷかと浮き沈みしながら。


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