中川あゆみ
というアーティストが紹介されていた。 六歳で両親が離婚。どちらも育児・親権放棄し、祖父母の養女として引き取られる。 九歳からひとりで駅前でストリートライブをはじめ、十四歳の今、デビューする。
生い立ちを歌詞にしたデビュー曲をギターを抱えて立派に歌いきった。 その歌に、話に、涙を浮かべて聴き入る出演者の姿がある。
捨てられた。 裏切られた。
と紹介され、歌われた両親は、どう受け止めただろうか。
そんな子を生み、育て、孫を養女して受け止め、支えて暮らしてきた祖父母は、どう受け止めたらよいのだろうか。
「ハウスブルー」という、中京テレビ制作のドキュメンタリー。
主婦たちの、誰しもがなりうるウツのことを、追いかけた。
以前からいわれていること。
「働いてる男は、休みや外に出る、という区切りや逃げ場がある。 しかし、主婦の家事・育児に休みはない。 終わりもない。 逃げ場もない」
取材を受け入れたとある主婦は、こういった。
「子どもが、自分でなんでもできるようになってきて、そんなときにふと、 わたしって、なんなんだろう? って、思う。 必死に追いかけて、いつのまにか子どもが追い抜いて」
入院も薬物治療も、彼女を救いきれない。 回復して帰る場所が、原因の場所なのだから。
中二になる娘に、彼女は頭を撫でられながらいわれていた。
「笑顔だけでいいんだよ。それ以外、何があるの。 無理しないで、ほどほどに頑張って、でも、頑張り過ぎないで」
母が悩み傷つく姿を、娘はずっと見続けてきた。
お母さんが傷つくのは、悲しい。
コクンとうなずきながら、彼女はつぶやくように話していた。
「Rent」映画版を、ついつい、観てしまった。
「ライフ・サポート」の場面。 エイズ患者の青年が、いう。
「診断通りなら、僕は三年前に死んでいる。 だけど気分は楽になった」 「なぜ?」 「New Yorkで暮らしていれば、死や危険とはいつも隣合わせだから」
エンジェルの愛に溢れた笑みで幕を閉じる。
赤札堂の開店直後の朝市セールに、開店前から入口にひとが集まる。 そのなかに、足の悪い旦那さんと共に来た老婦人がいた。
目当ては、ひとりワンパック限りの、たまごMサイズ十個入り九八円、である。
わたしも他聞に漏れず、それが目当てである。
入口前の段差がある。 階段一段分くらい。
「段の上に上がっちゃいなさいな」
人々が前を譲る。 脇によける。
開店時間になり、自動扉が開く。
そうと気づかないひとらが、おかまいなしに、老夫婦を追い抜き、たまごを手に入れてゆく。
神田神社にのぼりが立つ。 神田祭りが、もうはじまる。
真夏日のような気候。
横断歩道を渡っているとき、目の前を小さな、白いものが横切った。 それを追いかけ、晴天を見上げる。
タンポポの綿毛だった。
こうして、わたしのなかで物語がはじまる。
神田川に投げ入れられた檸檬のように、ぷかぷかと浮き沈みしながら。
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