| 2010年05月04日(火) |
「ミレニアム〜」なmisono |
「ありがとうなあ!」
ツンとこめかみに刺さるような、五月晴れに負けない朗らかな声が、ラクーアの庭でわたしの足を止めさせたのである。
「misono」
であった。 ラクーアの七周年記念のライブとやらをやっていたらしい。
わたしが通ったときはもうすでに、握手会とやらになっていた。
並んだひとりひとりに、コロコロと表情を変え、きちんと言葉を交わす。
はじける笑顔、グッと真摯な真剣な表情、クシャリと崩した照れ笑い。
ひとを惹きつけるとは、彼女のようなことをいうのであろう。
わたしは柵の外の、目算で二十メートルほど離れたところから、ステージ上の彼女をみていたのである。
「ほんま、ありがとう」
と、聞こえてきそうなくらい、はっきりと小気味よく、豊かな表情である。
それだけでなんだか、元気を与えてもらえるのである。
精一杯だからこそ、喜びも悲しみも精一杯。 精一杯だからこそ、みる人聴く人に伝えられる。
先日の「scope」舞台挨拶で、出演者の方々がいっていた。
作品は、観てもらって、初めて完成します。 観てもらって、感じてもらって。 そのそれぞれが、それぞれのこの作品の完成版です。 どうかそのそれぞれの完成版「scope」を持ち帰ってください。
と。
なかなか、至極尤もなことではあるが、胸に刺さる言葉である。
「misono」はストイックなまでに歌と元気を。 映画制作者らもまたストイックにメッセージを。
わたしもまた、己に負けぬよう、何かを。
その完成版を、生み出してゆかなければならない。
さて。
「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」
をギンレイにて。
この副題は、いただけない。 観る気をげんなりさせられてしまうのだが、まあそれはさておいて。
「ダヴィンチ・コード」や「天使と悪魔」を抜いてヒットした、とのコピーがつけられていたのである。
それが原作において、とのことらしいのだが、同じようにどうやら三部作らしい。
その第一作目。 原題は「女を憎む男たち」であり、こちらのほうがまだよろしいように思う。
もとい。
これはミステリである。 とある大企業の娘が四十年前に失踪した件を、新聞記者ミカエルと天才ハッカー少女リズベットが追いかけ、謎を解く。
リズベットは背中に竜、つまりドラゴンの入れ墨をいれているのである。
肝心なのは「竜」であり「龍」ではないことである。
東洋の龍は、神であったり知性や善の存在である。 しかし欧米の竜は、絶対的破壊の象徴であったり力の象徴だったりするのである。
それを背負った少女。
ピアスをあけ、パンクスの格好をし、しかし小柄で透き通るような白い肌。
重い過去を背負ったリズベットは、まさに「ツンデレ」である。
「ダヴィンチ・コード」のシリーズをわたしはひとつも観たり読んだりしていないが、おそらく本作のシリーズのほうがもっと単純に、ミステリとして楽しめる作品のように思えるのである。
難しくなければミステリにあらず、という方は、サラリと流していただきたい。
ミステリというのは、すべてがピタリと当てはまるよう用意してから、書かれてゆく。
わたしには、それはおそらくできないだろうことである。
誤解してはならない。 わたしだって、ある程度の通過点、着地点は、決まって書いているのである。
しかし、そこに決定的な「決まりごと」があってしまい過ぎると、天の邪鬼なわたしが、そうはさせまい、としゃしゃりでてくるのである。
すべてはいずれ、ピタリと当てはまる。
それがどうやら、わたしは苦手なのである。
揺らいで揺らがせて、流れて流して、軌跡を書き留める。
海図からはみ出ることもしばしばだが、それもまた愛嬌である。
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