「隙 間」

2010年05月03日(月) 段々、石段、男坂

先日、かつての我が母校にある「男坂」にいったとき、ああ行かねばならぬ、と思ったのである。

絵巻にもある、上野を見渡す神田神社の「明神男坂」や湯島天神の「男坂」は何度もいっている。

直江兼続にも馴染みある「愛宕神社」にある、かの有名な石段(男坂)である。

歩いて上り下りするのでさえ足が一度はすくむだろう急勾配、なのである。

この石段。

「出世の石段」

と呼ばれているのである。
話は江戸三代将軍徳川家光の時代に遡る。



菩提寺の芝増上寺に詣った帰りの道すがら、愛宕神社の下を通って見上げた愛宕山に、見事な源平の梅が咲き誇っていたのである。

「誰か馬にて、取って参れ」

しかし誰一人、公の問いかけに応えようとするものはなし。

天下泰平の世の中に、間違えばよくて重傷、悪くば落命、そんなことに挑む者はいない。

「ぐ、む、む……」

公があまりの不甲斐なさに、怒髪天を衝こうとしたそのときに。

人馬一体のひとつの影が、颯爽と木の葉が風に舞い上がるかのように石段を上っていったのである。

公の家臣のものたちではない。
その者こそ「四国丸亀藩の曲垣平九郎(まがきへいくろう)」であったのである。

平九郎は見事山上の梅を手折り、家光公に献上したのである。

「この泰平の世に、馬術を怠りなく納めているとは、天晴れなり」

かくして平九郎は、日本一の馬術の名人として全国にその名を轟かせることになったのである。



この話にちなみ、愛宕神社のこの石段(男坂)は「出世の石段」と慣れ親しまれるようになったのである。

現地で目の当たりにし、これは馬で上るなど無理に違いない、との急勾配に驚く。

しかし実際に、何度か挑戦され、成功している者がいるのである。

わたしはもちろん、徒歩で挑む。

上りだすと、途中振り返るのに勇気がいる。

しかし上らねばならないのである。

ご心配なく。
男坂あるところ女坂あり、である。
脇に比較的緩やかな、踊場もある石段もあれば、ぐるっと裏手に続く坂道の山道もある。
おまけに、エレベーターで一息に山上へ、というものもあるのである。

是威派亜と息を切らし、粛々と参拝をすます。

一度石段を下り、女坂にてまた上る。

好奇心には勝てないのである。

さて、そうして一見無駄な体力を消耗してみせて、まだ愛宕山に未練があったのは。

何を隠そうこの地こそ、日本で初めてラジオ放送が行われた地なのである。

山上には愛宕神社と並んで、

「NHK放送博物館」

があるのである。

入館料は無料。
なかなか静かで無料に見合った穴場である。

さて。

おかげでぼんやりとだが、かたちが見えてきた。

しかし、この融通が効かぬのは、なんとかならないものか、との思いを飲み込む。

都区内の数少ない「山頂」から、また一段ずつ、高みを目指し登らんとす。


 < 過去  INDEX  未来 >


竹 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加