「隙 間」

2010年04月08日(木) とんとことんとんおおもり

とことんとんとご無沙汰であった大森である。

日々夜激しい電池切れが続いている今日この頃、一畳足すのにも踏みきれず、ぼわぼわするのに任せっきりであった。

そんな折、イ氏がはじめから待合室のわたしを呼び出しに来、話したのである。

いつもならば、ますますらしく美しくなっていた田丸さんが、まずはお聞きしますというのを経て、それからゆっくりイ氏と、であるのに、田丸さんは別のひとにかかっていたのである。

さて話を戻そう。
イ氏してくれた新しい話である。

四月から報酬制度が変わる、との話なら、ふつつかながら小耳に挟んであった。が、それでは、ない。

今月から変わってね、ひと月分出せるようになったんだよ。

しかしそれを聞いたわたしは、

おお。なんて素晴らしい。

とまでは、ゆかないのである。
なんとも言い難い顔のわたしに、イ氏は続ける。

まあ、だからといって値段は変わらないんだけどね。

それが大事である。

ジェネリックがまず出てくることがないであろうものであるから、たとえば、海外にひと月ほど出張にゆかねばならない、といったことがない限り、まとめて出してもらっても得することがないのである。

一度に諭吉らを出すか、一葉と英世らで分けて出すか、の違いくらいしかないのである。

これまで通りで、と答えると、そうだよねえ、と笑ってうなずく。

なにせひと月も間をあけてのご対面である。
何から話そうか、と互いに手探りの感がありありで、なかなかむずがゆいところが、ある。

こんなの、読んじゃってるんだけど。

上品な革のカバーに挟まれた本を差し出す。

お。隆明さんですか。

吉本隆明氏による著作であった。

言語だったか、言葉だったかによる美の云々とかいった題名であった。

耳が、いや目が、いやいや胸元が、はたまた腹の奥底が、ぐわらがぎん、と痛く響くような題名であったので、都合よくあまり見ないようにしたので、あまりにも心許ない題名の紹介で、まことに申し訳ない。

いやいや、ムズカシイ内容じゃあなくてね。

イ氏は、いともあっさりと中身を紹介する。

言葉とは、指示表出となんたら表出である、らしい。

指示表出とは、無個性の万人による共通認識のものであり、なんたら表出とは、個々の観念や感性や感情などを含ませたものである、とのことらしい。

つまり、たとえば「カレンダー」であれば、

日付を表したもの、暦、

というのが、いわゆる指示表出であり、美しさも感慨も何も求めない。

が。それを、

我が子が生まれてきてくれた日、成長を記すもの、または泣き笑いの記憶

であったりするものであることを、聞き手や読み手に伝えられるかどうか、が、美しいかどうかの違いなのである。

はなはだこのような機会がかさなるとは、まことにもって得難いものである。

なにかしらの転機を、もたらされているのやもしれない。

じゃあ、また来月ね。
いやいや、再来週あたりですって。
ああそうか、ごめんごめん。

イ氏が笑って送り出すべく手を振り、パタパタと部屋を別の扉から出て行く。

わたしがまだ荷物も上着も支度していないうちに、誰もいなくなったのである。

やや、不用心な。

ソロソロとひとり勝手に出て行くのも、ぬすっとたけたてかけたたてかけたけだけしいように思えたのである。

のそりのそり、と荷物をまとめて、ゆったりと上着をたたみ直して腕に持つ。

パタッタッタ。

ビニル床タイルのサンダルをはたく音が、案の定、こだまのように帰ってる。

いやぁ、走って受付までいってきちゃったよ。

走っていってきちゃわねばならない理由など、なにもないはずである。

お花畑の仲睦まじい男女であれば、

あはははは。
おほほほほ。

となるのであろうが、そうではないのである。

あ、あはははは。
まあそんなムリしなくとも。

が関の山である。

じゃ、失礼します、ときちんと挨拶をしてから、今度は揚々と部屋をでる。

受付までの長い廊下を、ゆるゆるとたどる。
別室で田丸さんが、シーバップの使い方を懇々と説明しているのが見えたのである。

その他にも、待合室にはひとの姿がちらほらあり、やはりもうすこし遅い時間に訪ねるのがよかったか、と宙につぶやく。


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